『容疑者』ロバート・クレイス/高橋恭美子=訳
創元推理文庫 1260円(本体価格)
犬を連れ散歩している人の姿。特に珍しくはない。至って普通に住宅地や公園で見掛ける。しかし、ふと思う。なぜ人はペットを飼うのか。相手はしゃべらないのに。一緒に酒を飲み交わしてくれるわけでもないのに。それでも多くの人は、人間ではない動物をかわいがり、同居している。
本作『容疑者』の原書アメリカ刊行は2013年で、この邦訳版は先月9月に出た。登場するのは警察犬であり、ストーリーの中心は殺人事件の捜査だ。決して穏やかなだけの時間を描いているわけではない。けれども間違いなく、人が動物を愛する心を丁寧につづってくれている。
ロス市警の刑事スコット・ジェイムズ巡査は打ちのめされてしまった。パトロールの最中に街で銃撃戦に出くわし、相棒のステファニーが絶命したのだ。スコットは密かに彼女を愛していた。車を武器か楯にして応戦しようと歩み出したとき、血を流し続ける彼女が叫んだ。「置いていかないで!」と。見捨てるのではなく救うための行動を誤解したまま先逝ってしまったのではないか。誤解を解きたかった、という後悔が事件後のスコットを苦しめる。警備中隊へ異動した彼は雌の警察犬マギーと出会う。この元軍用犬も、かつて相棒の調教師を戦闘で失っていた。スコットとマギーは新たな相棒となり、ステファニーの命を奪った犯人を捜し始める。
物語全体の視点中心人物はスコットだが、時折マギーの視点も挟み込まれる。犬でもきちんと考えているのだ。その結果、ただスコットが一方的にマギーを大切に思っているわけではなく、両者が互いに信頼し合っている、という印象が強まった。そう、人間以外の動物をこよなく愛する人は、人間同士では味わえない別種の愛によって何かしらの深い心の安寧を求めているのかもしれない。スコットはマギーに救われている。
(中辻理夫/文芸評論家)
【昇天の1冊】
2012年に話題となったドキュメンタリーが文庫化された。『飛田で生きる』(徳間書店/720円+税)は、大阪市西成区山王の飛田新地で現代の“遊郭”を経営していた元オーナー・杉田圭介氏の回顧録だ。
現在は新地で働く女性のスカウトとして生計を立てているという、内情を知り尽くした著者だけに、内容は赤裸々で興味深く、一気に読める。
飛田新地の女たちといえば、生活に困窮したワケあり女性という印象を持っていたが、決してそればかりではない。もちろん何らかの理由でカネが必要なわけだが、素顔は十人十色。キャバクラや風俗から転身してきたコもいれば、夏休み期間だけ飛田にやって来る学生バイトもいるという。
一方で通称「妖怪通り」「年金通り」と呼ばれる、年齢層の高い女性ばかりが集まるエリアもあるらしい。当然、飛田でしか生きる術をもたない女たちが、そこにいる。
また、店の収入は? 女性たちの稼ぎは? 店舗の賃料は?…といったリアルなカネの話題から、呼び込みのおばちゃんの経歴、女のコ同士のイジメやケンカといった人間模様、そして、そもそも法治国家であるはずの日本で、なぜ飛田が存続し得るのかというカラクリまで、つぶさに記されている。
「いかがわしい場所といわれるが、そういう場所で人間の道を極めるのもオモロイ」とつづる著者の言葉が、読後に飛田で生きる人々の“たくましさ”を残す。
それにしても、日本にはまだまだ謎が多い。
(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)