貴乃花親方の動きは早かった。暴行事件を引き起こした弟子の貴公俊の監督責任や無断欠勤などで2階級降格処分を受け、ヒラ年寄にまで落とされた貴乃花親方。春巡業メンバーからも直前で外され、部屋でおとなしくしていたはずだったが、実は裏で動いたのだ。
関係者の話によると、貴乃花一門は4月中旬、都内の千賀ノ浦部屋で一門会を開いた。集まったのは貴乃花親方はじめ7人。すでに一門と距離を置くことを明らかにしている立浪親方(元小結旭豊)や、これまで一門と行動をともにしていた錣山親方(元関脇寺尾)らは不参加だった。欠席者が相次いだことでも、一門の結束がゆるんできていたことが分かる。
そうしたことを背景に、貴乃花親方が切り出した。
「私の名前のついた一門は、いったん解散していただきたい」
この唐突な申し入れに参加者たちは動揺した。
というのも、貴乃花一門は、8年前に年功序列制など、旧態依然とした体質に反発し、二所ノ関一門から飛び出した7人の血気盛んな親方たちによって結成された。4年後に正式に6番目の一門として認可されているが、その中心が貴乃花親方で、言って見れば貴乃花親方を理事長にするためにできたような組織だった。
それが、去年10月末からの一連のトラブルなどで理事選にも敗れ、一歩後退したかたちにはなっているが、大相撲界でただ1人の一代年寄の名を冠した看板の輝きはまだまだ健在。それを外すというのだから、穏やかではない。
「一瞬、まさかと耳を疑った。『一連の騒動で一門に迷惑をかけた』という謝罪の意味もあったのでしょうが、そこまで貴乃花親方が決意していたとは…。ゼロからスタートを切る、と言った気持ちに偽りはないんだという思いが伝わり、『いや、ちょっと待って』とは言えなかった」
参加していた親方の1人は、こう話している。
一門会での話し合いは、およそ30分に及んだ。そして結局、「貴乃花親方の決意は固い」と見た一門の理事である阿武松親方(元関脇益荒雄)が、
「分かりました」
と了承。貴乃花一門の消滅はあっけなく決まった。
新たな名称はどうなるか。
「今後のことは八角理事長と相談しながら決めていくことになるが、これで貴乃花親方は名実ともに表舞台から消えたことになる」(スポーツ紙記者)
つい4カ月前までは協会ナンバー3の理事で巡業部長だったことを思うと、信じられないような激変だが、この看板外しの裏に何があったのか。
貴乃花親方は、事が公になった4月19日朝、報道陣の取材に応じて、このように語った。
「あくまでも私個人の区切り。師弟ともども、足腰を強くして、一部屋としてやっていこうという決意だ」
そういえば、貴乃花親方は2年前に八角理事長と理事長の座を巡って激しく争った時も、こんなことを宣言している。
「(理事長に選ばれなかった時は)弟子という家族と、妻と我が子という家族と静かに暮らし、自らの愛弟子の中から横綱を育てたい」
ここまでの途中経過は紆余曲折あったが、今ようやくそういう暮らしを手に入れたので、「それに徹したいという強い気持ちの表れではないか」と見る関係者は多い。気になる一門を離脱して一匹狼になることについては、
「他の親方の意向もあるので。私が明言する立場にはない」
と話すにとどめたが、貴乃花親方がこのまま野に埋もれてしまうはずがない。
一門の内情に詳しい元力士は「貴乃花親方は必ず復権する」と断言し、次のように話す。
「貴乃花親方はまだ定年まで20年もある。時が来たら、絶対に動き出します。本人にその気がなくても、周囲が放っておきませんから。それくらい、まだ貴乃花親方の存在は大きい」
とりあえず、貴乃花親方はしばらく弟子の育成に専念するはずだ。もともと貴乃花親方は弟子の育成に長けていて、この方面の才能があると言っていい。このことは部屋を持ってわずか14年で、貴ノ岩、貴景勝、貴源治ら、4人もの若くて素質のある関取を育てたことでも明らかだ。その中から三役、大関が育ってきた時がチャンスだ。
「おそらく、4、5年、ガマンすれば、と貴乃花親方も見ているのではないでしょうか。その頃には、弟子たちも育っているし、八角理事長時代もそんなに長くは続かないはずです。ただでさえ今、世間を騒がせている土俵の女性禁制など、クビが飛びそうな問題が山積していますから。柿が熟して落ちてくるのを待つような気持ちで、じっとしていれば、黙っていても出番は回ってきます。一門なんて、その時にまた結成すればいいんですよ。若貴時代に育った若い親方たちも、これからどんどん増えますから」(協会関係者)
果報は寝て待て。当分の間、貴乃花親方は“死んだフリ”をする。