寅吉の場合、無事に戻って来ることができたから良かったものの、いまだに行方知れずとなって真相が分からないままの事件がある。その一つが、群馬県前橋市三夜沢で起きた「赤城神社主婦失踪事件」である。
標高1828メートルの赤城山は群馬県を代表する名峰で、ゆるやかに広がる山裾が印象的である。その中腹に三夜沢赤城神社はある。創建は平安時代で、平将門の乱(939〜940年)を鎮圧した藤原秀郷も参拝したことで知られ、そのことにより多くの武将たちに崇拝されてきた神社でもある。
この歴史ある神社で事件が起きたのは、1998年5月のゴールデンウイーク中のこと。千葉県に暮らしていた主婦の志塚法子(当時48歳)さんは、夫、義理の母、叔父、叔母、娘、孫の7人で参拝のため神社を訪れていた。ちょうどその頃、神社へと続く参道はツツジの名所としても知られていて、ゴールデンウイーク中ということもあり、多くの人で賑わっていた。
しかし、その日の天気は雨。そのため、神社への参拝は叔父と夫だけが行くことになり、法子さんら5人は車の中で待機していた。だが、しばらくすると法子さんも参拝に行くと言いだし、賽銭代の101円だけを持って、2人の後を追うように神社の方へと向かった。法子さんが車を出た直後、娘が子どもをあやすために車外に出たが、その時、法子さんの姿を目撃。法子さんは参道へと向かわず、駐車場から神社へと続く林道の中で佇んでいたという。
この娘による目撃を最後に法子さんは忽然と姿を消し、そのまま家族の元へは戻って来ていない。家族は付近を捜したが見つけることはできず、すぐに警察に通報。地元の消防団も含めた大規模な捜索が10日間にわたって行われたが、法子さんは現在も見つかっておらず、いまだに真相は分からないままである。
★家にはその後無言電話が数回かかってきたが手掛かりはなかった
6月上旬、私は赤城神社に向かった。北関東自動車道の伊勢崎インターを下りてからゆるやかな山道をのぼり、30分ほど走ったところで赤城神社に着いた。
現場を見て思ったのは、境内と駐車場を含めた広さが、思ったより狭いということである。あの日、法子さんの家族が車を停めた駐車場から神社の境内までは、50メートルほどの距離しかない。彼女が佇んでいたという神社へと続く林道も、社殿から駐車場にかけて5分とかからない短いものだ。この狭い空間の中で、彼女はどこに消えたのだろうか。
事件当時のことについて、神社近くに暮らす女性から話を聞いた。
「あれは不思議な事件だったね。あの日は雨が降っていたけれど、人もいっぱいいたしね。ただ、誰もあの人の姿を見ていないんだよね。ピンクの服に赤い傘を差していたっていうから、目立つはずだけどね。家族の間だけに、何かトラブルがあったのかもしれないよね。それ以外に考えられないよ…」
警察による大規模な捜索も行われ、この女性宅にも聞き込みに来たという。
「ウチにも刑事が2回ぐらい来たかね。『あの人を見なかったか?』と聞かれたね。神社に来た人だけじゃなくて、この辺の人も誰も目撃していないんだよ」
失踪からしばらくして、法子さんの姿が映り込んでいるというホームビデオの動画などがテレビで公表されたりしたが、家族は別人だと否定。彼女の行方に関する情報は皆無に等しい。家には米子と大阪の局番で無言電話が数回掛かってきたが、手がかりを掴むことはできなかった。
法子さんが最後に目撃された林道は、境内とは別の方向にも道が延びている。すぐに行き止まりとなるが、その向こうには広大な森林が広がっている。彼女が何者かに拉致され、車などで連れ去られたのでなければ、その森林に紛れ込み、行方不明になることも考えられる。
赤城山周辺には昔から神隠しの伝説のあり、この山には杉ノ坊という大天狗が住むという。現代の叡智を結集しても何の手がかりも見出せないこの事件。赤城山に住まう物の怪による仕業なのだろうか。