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女たちの哀しい記憶が秘められた「板橋宿跡地」

 現在、中山道と旧中山道が並行して走る「板橋宿」は、商店街として活気あふれる、人通りの多いところである。そんな街の一画に、かつてこの地で暮らした遊女たちの哀しい歴史がほのかに残されている。その現在の姿が、商店街というわけだ。商店街から少し入ったところに文殊院がある。

 この文殊院は、かつて遊女の“投げ込み寺”だったところで、現在も「遊女の墓」がある。投げ込み寺とは、身寄りのない遊女が亡くなった際、彼女たちの遺体が運び込まれた(投げ込まれた)寺である。江戸時代、200文の銭とともに、むしろに巻かれた遊女の遺体がここに投げ込まれたのだ。当時は性病の予防や避妊の知識も乏しかったので、その数だけ不幸が積み重なっていった。

 この文殊院は数ある投げ込み寺でも珍しく、女郎たちの名前や戒名、命日が刻まれていて、天保や文久といった文字に歴史の深さを感じさせる場所としても知られている。

 文殊院を出てさらに歩くと、小さな橋に突き当たる。その下は、都会にしては綺麗な水が流れる石神井川。この橋の名が「板橋」で、区名の由来となったという説もある。

 江戸の出入り口である板橋宿は、日本橋から数えて中山道の最初の宿だ。江戸を去る人たちは、この板橋で最後に“江戸の残り香”を感じ、北上していったのだ。

 板橋を渡って少し歩くと、今度は「縁切り」が見えてくる。ここで願うと悪縁を断ち切ってくれるとされ、その効果は日本でも屈指と評判である。狭い敷地内に吊るされたおびただしい数の絵馬には、自分の本名と、縁を切りたい相手の本名を記すことになっていて、中には見るに堪えないエグい内容のものもある。

 筆者が訪れたときは、恰幅のいい中年女性が熱心にお参りをしていた。よほど強く縁を切りたいと願う相手がいるのだろうか、彼女は1万円札を賽銭箱に入れると手を合わせたまま微動だにせず、5分ほど手を合わせ続けていた。神頼みしか解決方法が見出せない人も、時にはいることを教えてくれた。

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