日露戦争に従軍記者として参加した明治、大正時代の文豪・田山花袋は小説『一兵卒』で、脚気(かっけ)に苦しむ主人公をこう記している。
もっと昔では、豊臣秀吉の死亡原因といわれている脚気。これ、過去の流行病とあなどってはいけない。現代型脚気は、ひっそり確実に人々に襲いかかるべく、常に爪を研いでいる。
「驚いたよ。医者は『このまま放置していたら、足がダメになる。ゆくゆくは車椅子生活か寝たきりだ』って言うんだから。しかも、原因は栄養失調。どういうことなのか。さっぱり訳がわからなかった」
電気の配線・設備会社に勤める都内在住の柴田博昭さん(仮名、49歳)が、「診断結果は脚気」と医師から告げられたのは、昨年秋のことだ。
訳がわからないと驚くのも当然だ。最近、メタボ体型が気になっていたという柴田さんだが、毎日3食しっかり食事を摂って酒を飲む。もちろん、決して生活が苦しい訳ではない。それでも栄養失調による脚気との診断、これは青天の霹靂だったろう。
「ずっと疲れがとれなくて、だるさが続いていたんだ。たまに足がピリピリとしびれるんで、これはまずいと病院に行ったわけ。3件ぐらい違う病院に行ったかなあ。血液検査もしたけど、多少血糖値が高いぐらいで問題はないという。でも、体調はどんどん悪くなる一方で、より詳しく血液検査をしてくれるクリニックで診てもらって、ようやく原因がわかったんだ」
柴田さんは、大のビール好き。仕事帰りに部下や同僚との付き合いも頻繁。しかも、体力のいる仕事ゆえに「食べないと力が出ない」とご飯の量はいつも大盛り。そんな生活を長年続けていた中での出来事だった。
「これまで食事量、飲酒量ともに多くても、仕事では現場に出て体を動かしていた。ちょっとやそっとのことで病院に行くこともなかったし、会社の健康診断でもときどき注意される程度だった。きっかけは、ある時、疲れが抜けずおかしいなあ、と思い始めてから。食欲はなくなっていき、やる気もめっきり落ちていく。でも、脚気って昔の人の病気かと思っていたよ」
たしかに脚気の流行で死亡者が続出したのは、満足に食事を摂ることができなかった昭和初期までのこと。とくに明治時代は猛威を振るい、脚気になる原因究明が議論を呼ぶほどに沸騰した。そして太平洋戦争後、食生活が豊かになるにつれ、国民の栄養状態も急回復。脚気は過去の病気として人々の記憶からなくなるはずだったのだが…。
栄養療法を実践する新宿溝口クリニックの溝口徹院長は、現代人にまん延する脚気に警鐘を鳴らす。
「最近は柴田さんのような脚気、それ以上に脚気予備軍の人が急増中です。この病気の怖いところは、医者によっては症状を見過ごされてしまうこと。なぜなら、一昔前の病というイメージが強く、しかも一般的な血液検査でも判断がつき難い。病の進行もゆっくりで、疲れやだるさは齢のせいと判断しまいがち。そのため、このような“かくれ脚気”が放置されやすいのです」