2009年、映画『アマルフィ』公開の際にはそのスピンオフが“ドコモ動画”でのみ公開されたことから再びドコモのCMに出演を果たした織田だが、若手俳優として人気が絶頂だった1996年から1998年にかけてNTT DoCoMo「携帯電話・ポケットベル」に出演していた。当時出始めの携帯電話がやっと一般のサラリーマンにまで普及したぐらいの時期で、次々に繰り出すカッコいい織田のCMで「携帯=ドコモ=織田裕二」というイメージが焼きついた。
そんな織田が、1999年にドコモとの契約が切れたとたんIDO/セルラー電話各社(現KDDI au)の新機種「cdmaOne」のCMに出演し世間を驚かせた。刑事またはサラリーマン風の織田が、明らかに前まで使っていた携帯(おそらくドコモ)の電波が悪くて繋がりにくいとおちょくっている演出は斬新だった。前のCMの舌の根も乾かぬうちにライバル会社に乗り換えた織田にテレビを見ている人誰もが驚き、一時「金を積まれればほいほいダンナを変える芸者のようだ!」とも言われた。
今では当たり前となった、同業他社のCM出演。それまで松田聖子が数年の期間を空けて化粧品会社大手2社のCMを契約した事はあったが、超短期間移動という、大胆な織田の乗り換えは先駆け。その後、利用会社を変えても元の電話番号が使える「携帯電話ナンバーポータビリティ」が機能し、客の争奪戦から、CM起用タレントの争奪戦へ変わる。数年前はドコモのCMに出演していた土屋アンナも今ではauの顔として大きく露出している。イメージが固定したタレントがCM企業を乗り換える事で客の乗り換えも考えられるようになった。
バブルが崩壊し、なりふりかまわず客を掴みたい企業は、客を引き付けるCMタレントの確保に忙しい。またタレントたちもしかり、オファーがあればライバル会社だろうと躊躇ナシに乗り換える。そんな時代になった。(コアラみどり)