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【戦国時代】池の畔に無数の首級が…戦の残忍さを今に伝える旧跡

 天正3年(1575年)、武田軍1万5000人が長篠城を包囲して攻めた。これに対して織田・徳川連合軍3万5000人が救援に駆けつけ、長篠城外の設楽原で激突。織田軍の鉄砲の威力により、最強を誇った武田騎馬軍団は壊滅し、戦死者は1万を超えたと伝えられる。

 討ち取った敵将の首級は手柄の証明となるため、敵将兵の死骸は、首と胴を切り離して持ち帰ることになる。その際、戦場にあった池で討たれた首に付着した血を洗い流したといわれるが、なんせ1万以上が戦死した大合戦である。持ち帰る首級も数千といった単位になり、池の畔には洗う順番を待つ首級が無数に転がっている…想像しただけでも壮絶な眺めである。

 以来、その池には「首洗池(くびあらいいけ)」の名が付けられ、付近に暮らす人々は今も不気味がって夜は絶対に近寄らないという。場所はJR飯田線三河東郷駅から信玄塚方面へ坂を下った途中、設楽原歴史資料館から500メートルほど離れた場所にある。

 現在、付近は公園整備されて池もコンクリートで囲まれた貯水槽となっているのだが、「首洗い 池は血色に 水濁る」と書かれた立て看板がなんとも不気味だ。

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