芸能ネタ 2020年02月02日 19時00分
元アイドルグループだったRIKACO、トレードマークの衣装が斬新?【有名人の消し去りたい“黒歴史”】
タレントのRIKACOが27日、自身のインスタグラムのストーリーズを更新し、ファンからの質問に回答した。不倫した夫と離婚するべきか悩む子持ち女性からの相談内容に、RIKACOは「本当なんで浮気とかするんだろか?未熟ですね、浮気する人は まだまだ色々欲があるね!」と不倫夫に手厳しい意見をぶつけた。一方で、「ただ簡単に離婚はしないで欲しいな~ よく考えてくださいね!頑張れ」と“不倫サレ妻”にもエールを送った。 RIKACOは俳優・渡部篤郎と1993年に結婚。同年に長男、98年に次男を出産し、2児の子育てと仕事を両立させ順調な生活を送っているようにも見えたが、05年に離婚を発表。離婚の原因はかねてから渡部と不倫関係にあった女優・中谷美紀の存在が大きかったという。 “不倫サレ妻”の経験者・RIKACOの批判は現実的であり、ある意味、渡部に向けたメッセージとも取れる。ときに、感情的に持論を述べ、熱い討論で周囲を圧倒させるRIKACOだが、デビュー当時はアイドル歌手だったことをご存じだろうか。当時は弾けるような元気いっぱいのスマイルを振りまいていたが、今振り返ると“黒歴史”ともいえよう。 RIKACOは、13歳でモデルとして芸能界デビュー。15歳を迎えた1981年11月、資生堂「シャワーコロン」のCM用キャンペーングループのオーディションに合格。7人組アイドルグループ「シャワー」が結成され、RIKACOは、メンバーの一員となった。 「平均年齢は17歳で高身長のスタイル抜群な女の子を集結させたグループでした。衣装は、セーラー服を着用しているのですが、今で言う『ももいろクローバーZ』のような担当カラーが各自あり、RIKACOはレッドを担当していました。ジャケット写真では、前列でセンター的なポジションに位置し、メンバーの中でも際立っていました。ですが、よく見るとRIKACOは酔っ払いのおじさんが額にネクタイを縛るようなスタイルで赤い鉢巻を縛り、どう見てもイケてない仕上がりでした」(芸能ライター) 勢いに乗ったグループは、1982年2月に『Do Up・愛・ing(ラヴィング)』でレコードデビュー。そして、当時の人気音楽番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に一度だけ登場している。 「RIKACOの当時の芸名は、村上理佳子。同曲のジャケット写真は上下白のセットアップに白のストッキングを着用、低めの白のパンプスを履いて、各自それぞれのカラーの手袋を身に着けています。もちろん、お約束の白色の鉢巻きも着用していますが、このときは細めでした」(前出・同) 同グループは結成からわずか1年あまりの同年に解散。その後は各方面へ転身するメンバーもいたが現在、芸能界で活躍しているのはRIKACOと、俳優の陣内智則の妻でモデルの陣内恵理子のみである。 その後RIKACOは、タレント兼女優に転身し、深夜のワイドショー番組『11PM』(日本テレビ系)に出演。1984年には、美と健康をテーマにした深夜番組『ミントタイム』(テレビ朝日系)でサブMCに抜擢された。さらに、ファッションリーダーとしてカリスマ性も兼ね備え、絶大な人気に。そして、RIKACOは芸能界のご意見番として、コメンテーターや討論番組のパネラーに引っ張りだことなった。 かつて、RIKACOのライフスタイルを貫く姿勢は、多くの女性から支持され“カリスマ主婦”の称号を手にした。プライベートもオープンで、離婚後にもかかわらず渡部と交際中の中谷に了承を得ながら渡部と息子とともに旅行へ行くこともあった。肝が据わったRIKACOには、悩める世の女性たちの頼もしい存在であってほしい。