田淵幸一
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スポーツ 2020年12月21日 19時30分
巨人が“相思相愛”のドラフト候補生を晒し者に?「潰したかったんやな」田淵氏がドラフト直後の裏切りを明かし反響
元西武で野球解説者の石毛宏典氏が20日に自身の公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、元阪神で野球解説者の田淵幸一氏がゲスト出演。自身がプロ入りした1968年ドラフトの前後にあった巨人との裏話を暴露した。 石毛氏が19日に投稿した動画に出演し、今回が2本目の登場となる田淵氏。本動画では1968年ドラフトで阪神に1位指名されプロ入りするまでの経緯を中心にトークを展開したが、その中で巨人との間にあったというドラフト前の密会やドラフト後の裏切りについて語った。 プロ入り前は法政大学でプレーし、山本浩二(元広島)、富田勝(元南海他)と共に“法政三羽烏”の一角として名をはせていた捕手の田淵氏。当時の報道では巨人のドラフト指名が確実視されていたが、田淵氏によるとドラフト前に巨人・川上哲治監督(当時)とひそかに会食していたという。 具体的な日時は明かさなかったが、田淵氏は赤坂の料亭で会食し川上監督から「田淵君、(背番号)2番用意してるからぜひうちに来てくれよ」と言われたという。川上監督から直々にスカウトを受けたこともあり、ドラフトでは巨人が自身を指名するだろうと信じて疑わなかったという。 だが、いざ迎えたドラフトは巨人より指名順が先だった阪神が田淵氏を指名するまさかの展開に。当時のドラフトは今とは違い先に指名した球団がその選手の交渉権を獲得する“早い者勝ち”のルールで行われていたため、阪神に指名された時点で田淵氏の巨人入りは消滅。相思相愛だった巨人に行けないことに田淵氏は大きく落胆したという。 想定していなかった阪神への入団を悩む中、ドラフトから10日ほど経ったころに大学時代から面識があった巨人・高田繁から「巨人のスカウトが(ホテル)ニューオータニで会いたいって言ってるから来てくれないか?」と連絡が。「ひょっとしたらひょっとするかも」と期待を胸にホテルに足を運んだという。 ところが、巨人は同日に同じ場所で大洋・桑田武のトレード獲得発表を行っていたため、ホテルを訪れた田淵氏は報道陣にカメラを向けられ翌日以降“何しに来たのか”、“未練がましい”などと紙面でたたかれるはめに。これを受けた田淵氏は「なんでそんな時に俺を呼ぶんや」、「結局は潰したかった(巨人入りの話をなかったことにしたかった)んやな」と巨人に失望し、同時に阪神入りの決意を固めたと語っていた。 この他にも田淵氏は自身の阪神入りについて同級生の星野仙一(元中日)からもらったという言葉や、プロ初打席で感じたプロとアマチュアの差などについて動画内で語っている。 >>元横浜・駒田氏、巨人と“喧嘩別れ”の真相を明かす「黙って横浜へ行け」決断を後押しした意外な人物とは<< 今回の動画を受け、ネット上には「巨人と相思相愛だったっていう話は何度か聞いたことあるけど。川上監督と密会してた話は初めて聞いた」、「それまで来てくれって言われてたのに全然違う態度取られたらそりゃ困惑するよ」、「巨人はメディアが集まってる場所に田淵を呼びつけて晒し者にしたのか、とんでもないやり方だな」といった反応が多数寄せられている。 一方、「川上監督直々に声かけた選手にそんな仕打ちするか?将来的にトレードとかで獲得できる可能性だってあるのに」、「巨人は普通に交渉するつもりだったのに田淵が一方的にへそを曲げたっていう話にしか聞こえないんだが…」、「普通に交渉してれば『来年改めて指名するから阪神は断ってくれ』みたいな約束も取り付けられたんじゃないの?」と、巨人側に田淵氏をおとしめようという意図は特になかったのではと疑問に思うコメントも複数見受けられた。 現役時代は阪神(1969-1978)、西武(1979-1984)でプレーし、「1739試合・.260・474本・1135打点・1532安打」といった数字を残している74歳の田淵氏。その田淵氏が明かした巨人の“手のひら返し”に驚いたファンも多かったようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について石毛宏典氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UC9uwO3E7TohCjf1X3zU_kOw
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スポーツ 2020年06月28日 11時00分
こめかみ直撃で目からも流血! ロッテ・中村だけじゃない、頭部死球に苦しめられたプロ野球選手
6月19日に開幕し、21日までに開幕カードの3連戦が行われた今シーズンのプロ野球。ネット上にも多くのファンが選手への反応を寄せているが、中には心配の声が寄せられた選手もいる。その1人がロッテ・中村奨吾だ。 >>ロッテ・中村の頭部死球に「ふざけんなよ!」ファン激怒 1週間前にも直撃、予期せぬアクシデントが続くワケは<< 中村が話題となったのは、21日に行われた対ソフトバンク戦でのこと。中村は2回表無死一、二塁とチャンスの場面で打席に立つも、ソフトバンク先発・二保旭が投じた3球目が頭部に直撃。中村は一度は出場を続行するも3回裏の守備から途中交代。試合後に病院で検査を受けた結果、頭部打撲と診断されたが脳には異常が見られなかったため、23日のオリックス戦にも出場している。 18試合が行われた開幕カードでは計8個もの死球が記録されているが、当たった箇所が頭ということもあり「思いっきり頭に当たってるけど大丈夫かな」、「今後に悪影響が出なければいいけど…」といった心配の声が最も多かった中村の頭部死球。過去のプロ野球を振り返ると、頭部死球による後遺症に苦しめられた選手たちは少なくない。 阪神(1969-1978)、西武(1979-1984)で活躍した捕手・田淵幸一は、1970年8月26日・対広島戦で相手投手・外木場義郎の球が左こめかみに直撃。耳や口、さらには目からも血を流しながら昏倒した田淵はすぐに病院に搬送されたが、「左側頭葉脳挫傷及び頭蓋内血腫」で全治3カ月の大怪我を負ってしまった。 田淵は翌1971年シーズン途中に一軍に復帰したものの、左耳の難聴や方向感覚の乱れといった後遺症が残ってしまったため、平凡なキャッチャーフライをしばしば見失うなど苦労を強いられた。田淵は現役16年間で「.260・474本・1135打点・1532安打」といった成績を残したが、頭部死球がなければもっと数字は伸びていたのではとの見方は根強い。 広島(1966-1982)、阪急(1983-1985)でプレーした水谷実雄は、1984年3月31日のロッテ戦で土屋正勝から頭部死球を受け、左側頭部骨折・三半規管損傷の重傷。水谷は同年夏に復帰したが、頭痛、めまい、吐き気といった後遺症により63試合で「.181・3本・20打点・29安打」と思うような結果を残せなかった。 水谷は前年の1983年には打点王(114打点)を獲得したほどの強打者。しかし、頭部死球による後遺症の影響で1985年はわずか13試合の出場にとどまり、同年限りでの現役引退を余儀なくされている。 日本ハム(1997-2011)、巨人(2011)、オリックス(2012-2014)の3球団に所属した高橋信二は、2010年7月1日・対西武戦で西武・藤田大洋から頭部死球を受けた。病院での検査の結果内耳しんとうで入院した高橋は同月27日に一度は復帰したが、内耳しんとうによる聴覚障害やめまいに悩まされ8月2日に再び登録抹消。その後のシーズンは一軍に戻ることはできなかった。 高橋は前年まで3年連続で100試合以上に出場した主力選手だったが、頭部死球を受けた2010年から引退する2014年まで100試合以上出場したシーズンはなし。死球で崩れた状態が戻らないまま、ユニフォームを脱ぐ不本意な結末を迎えている。 開幕カードで死球を受けた中村は、昨年から数えてこれが5度目の頭部死球となっている。頭部にダメージが蓄積されていることは想像に難くないが、今後後遺症が発生しないことを願うばかりだ。文 / 柴田雅人
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