名球会
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スポーツ 2021年02月15日 20時30分
中日・谷繁元監督、MLB球団からオファーを受けていた 史上初“日本人捕手メジャーリーガー”のチャンスを自ら断ったワケは
日本プロ野球名球会が14日に公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、元中日監督で野球解説者の谷繁元信氏がゲスト出演。現役時代のFA宣言にまつわる裏話を明かした。 プロ入りした1989年から2001年まで横浜(現DeNA)でプレーし、同年オフに海外FA権を行使して中日に移籍している谷繁氏。今回の動画ではFA宣言直後の心境や中日移籍後の落合博満監督(2004-2011)とのやりとりなどについてトークを展開したが、その中で当初はMLB移籍へ動いていたという話を語った。 >>中日・又吉を覚醒させたのはダルビッシュ? 対外戦で見せた“モデルチェンジ”、同僚・根尾も外部指導の効果アリか<< 1999年オフに横浜から海外FAでマリナーズに移籍した元同僚・佐々木主浩氏から、「シゲお前、(MLB移籍も)考えろよ」という話をしばしばされていたという谷繁氏。佐々木氏がMLB移籍を勧めてきた理由については触れなかったが、この言葉もありFA宣言後は「まずそっち(MLB)を優先して考えよう」という考えを持ったという。 この考えのもと代理人と話し合った結果、「一回(アメリカで)テストを受けよう」という流れに。実際にMLBの複数球団がアリゾナで行っていた入団テストに参加したところ、パドレスから契約のオファーをもらったという。 ただ、谷繁氏はオファーを代理人と共に検討した結果、「これはわざわざアメリカに行く必要はない(条件)」と、受けるに値しない条件だという結論になったとのこと。そのためパドレスには断りを入れ、宣言直後から声をかけてきていたという中日への移籍を決断したという。 パドレスのオファーを断った理由について、谷繁氏は「僕が独身だったらもしかしたら行ってたかもしれない。(でも)現実問題として(家族のことも)考えなきゃいけない年齢でもあった」とコメント。パドレスのオファーの詳細は明かしていないが、当時31歳で家庭も持っていた自身にとって満足できる内容ではなかったため、4年総額12億円(推定)という中日のオファーを選ぶに至ったという。 中日では翌2002年から引退する2015年までプレーし、2014年から2016年にかけては監督(2014-2015は選手兼任)も務めた谷繁氏。「(パドレスではなく中日を選んだ)判断、選択っていうのは間違ってなかったなと思っている」と断言していた。 谷繁氏はこの他に落合監督からの苦言や選手兼任監督時代の苦労についても話している。 今回の動画を受け、ネット上には「MLB行こうとしてたのも、具体的なオファーがあったのも初耳」、「仮に行ってたら城島(健司氏/2005年オフ)よりもずっと早く日本人捕手メジャーリーガーが誕生してたのか」、「パドレスのオファーがどんな内容だったかが気になるな、メジャーじゃなくマイナー契約だったんだろうか」、「その後中日に計15年在籍したんだから結果的には大正解だったな」といった反応が多数寄せられている。 日本人捕手がMLB移籍を果たしたのは、2005年オフの城島氏(ソフトバンク→マリナーズ)が最初で最後。それより4年も前に日本人捕手史上初のMLB移籍が実現しかけていたという話に驚いたファンも多かったようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について日本プロ野球名球会の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UC9ycDcfxt5ge3hUFfnqnQ9Q
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スポーツ 2021年02月04日 15時45分
巨人・堀内元監督、大事故のおかげで名球会投手に?「絶対に言わなかった」利き手に隠された秘密を明かす
元巨人監督で野球解説者の堀内恒夫氏が、3日放送の『レジェンドの目撃者』(NHK BS1)にゲスト出演。自身の投球に隠された意外な秘密を明かした。 現役時代は巨人(1966-1983)一筋でプレーし、「560登板・203勝139敗6セーブ・防御率3.27」といった通算成績を残した73歳の堀内氏。150キロ超とされる速球とドロップカーブが武器の投手だったが、番組内で幼少期に負った大怪我が後の投球に活きたと語った。 >>巨人・堀内元監督が巨人投手にズバリ指摘「素質が開花する前に怖さを知った」 戦力外の伏線は7年前にあった?<< 堀内氏は1948年、山梨・甲府市生まれ。太めの麺を野菜などの具材とともに味噌仕立ての汁で煮込む料理「ほうとう」が名物の地域だが、堀内氏によると「4歳の時にほうとうを作る機械を親父が買って、そこにこの指(右人差し指を誤って)突っ込んだ」と大事故に見舞われたという。 堀内氏はこの事故により、利き手である右人差し指の先を切断。その後の治療については触れていないが、結果的に1センチほど指先が短くなってしまったという。ただ、指先が短くなったことが、後々直球やカーブを投げる際にメリットになったという。 堀内氏はまずカーブを投げる際のメリットについて、「僕のカーブは回転を加えながら縦に抜くカーブ。だからこの指(右人差し指)はほとんど使わないんです」、「(使うのは)この指とこの指(親指と中指)だけで人差し指は添えるだけ。そして縦にひねってくる(投げる)ものですから、この指(人差し指)があると引っかかるんですよ。短い方が抜けやすいんです」と発言。人差し指が短いため球が抜けやすく、それによりカーブの変化量が人一倍大きくなったという。 また、堀内氏はカーブの曲がりが大きいことを利用して、右打者に投げる際には頭付近を狙っていたと告白。「頭を狙って投げないと、(変化が)大きいものですからストライクゾーンに来ない。真ん中に投げたら必ずボールになっちゃう」、「(頭付近に投げると右打者は)一瞬フッと(体が)後ろに反るんですよ。その瞬間にもう(カーブは)打てないんですよね」と、打者に恐怖心を与えていたと説明した。 一方、直球を投げる際のメリットについて、堀内氏は「指が短いから、今でいうカットボールも自然に投げられる」とコメント。「こうやって(人差し指と中指で球を押し出して)投げていくでしょ? 投げていけば必ず、この指(人差し指)が短いから先に(球から)離れるじゃないですか」、「そしたらこの指(中指だけ)が(球を)抑え込むから(横回転が加わって)、ボールが(打者の手元で)ピュッと変化する。打者はストレートだと思って待ってるから、ピュッと曲がれば芯外れるんですよ」と、特に意識しなくても自然に球が曲がるため打者の狙いを外しやすかったと語った。 事故で短くなってしまった右人差し指を、「武器です」と断言した堀内氏。「だから指が短いってことは(周囲には)言わなかった。『どうやってカーブ投げるんですか?』って言われたら『こうやって投げるだけです』って(握りは見せたが)、この指のことは絶対に言わなかった。(明かしたのは)もう(現役が)終わってからです」と、現役中は一貫して隠し続けていたと語っていた。 今回の放送を受け、ネット上には「怪我の功名っていう言葉がぴったりの貴重な話だ」、「指を切った事故の話は何かの本で見て知ってたけど、投球にこれだけメリットをもたらしているのは知らなかった」、「カットボール投げてたのは初耳、直球と同じフォームで投げられたら打者としても対応が難しいだろうな」といった反応が多数寄せられている。 事故で短くなった指を逆に自身の生命線とし、名球会投手にまで大成した堀内氏。体のハンデを最大限に生かした投球の秘密に驚いたファンは多かったようだ。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2021年01月07日 17時00分
西武・東尾元監督、高卒ルーキーを警戒していた?「スライダーばかり投げた」現役最後の日シリでの印象深い“駆け引き”を明かす
日本プロ野球名球会が6日に公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、元中日で野球解説者の立浪和義氏がゲスト出演。同じくゲスト出演した元西武監督で野球解説者の東尾修氏と対戦した際の心境を語った。 >>元横浜・駒田氏、巨人と“喧嘩別れ”の真相を明かす「黙って横浜へ行け」決断を後押しした意外な人物とは<< 今回の動画で立浪氏は東尾氏と共に、両者の接点やセ・パの実力差問題などについてトーク。その中で東尾氏が「僕が(立浪氏のことを)一番覚えているのは1988年の日本シリーズ」と口にしたことをきっかけに、立浪氏は1988年日本シリーズ中日対西武で東尾氏と対戦した際の思い出を語った。 中日所属の立浪氏はプロ1年目・19歳、西武所属の東尾氏はプロ20年目・38歳で迎えた同年の日本シリーズ。立浪氏は第1戦の8回裏2死三塁、第5戦の6回表2死二塁でそれぞれ東尾氏と対戦したが、第1戦は三振、第5戦は二ゴロと東尾氏に抑えられている。 当時は交流戦がなかったため、対戦は日本シリーズが初めてだった。ただ、シリーズ前にPL学園高校時代の先輩である西武・清原和博から「東尾さん(の球)は打っても絶対ゴロアウトにしかならん」と言われていたため意識はしていたという。 実際に東尾氏と対戦し、立浪氏は「それくらいコントロールが抜群だった」と制球力の高さに驚かされたという。「対戦できただけでうれしかった」と、このシリーズを最後に現役を引退した東尾氏との対戦は貴重な経験になったと振り返った。 一方、ここまで話を聞いていた東尾氏は「(当時は)1年目から(高卒)野手で出れてるのが珍しい(と思っていた)」、「1年目で日本シリーズでやっているというのは(すごい)」とコメント。立浪氏が自身を意識していたように、自身も高卒1年目でスタメン起用されている立浪氏に注目していたことを明かした。 また、東尾氏は「外スラから入ってインスラ投げて(という感じで)、スライダーばかり投げた」とも発言。直球だけでも抑えられるという考えは一切持たず、変化球主体の配球で立浪氏を最大限警戒していたことを明かしていた。 両者はこの他にもソフトバンクが巨人を4連勝で下した昨年の日本シリーズの感想や、セ・リーグへのDH制導入についての見解などについて動画内で語っている。 今回の動画を受け、ネット上には「当時は立浪が19歳、東尾は38歳だったから雲の上の存在に見えたんだろうな」、「清原からそんな話してもらってたのは知らなかった」、「まだルーキーの立浪を東尾はそこまで警戒してたのか」、「高卒新人野手がシリーズに出ること自体が稀だから、東尾さんも『只者じゃない』という雰囲気を感じていたのかもしれない」といった反応が多数寄せられている。 高卒1年目の野手が日本シリーズに出場したケースは極めて少なく、立浪氏以降では日本ハム・近藤健介(2012年)、DeNA・細川成也(2017年)の2名しか該当者がいない。東尾氏は後に“名球会仲間”となる立浪氏の才能を早くから見抜いていたのかもしれない。文 / 柴田雅人記事内の引用について日本プロ野球名球会の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UC9ycDcfxt5ge3hUFfnqnQ9Q
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スポーツ 2020年12月10日 19時30分
元横浜・駒田氏、巨人と“喧嘩別れ”の真相を明かす 「黙って横浜へ行け」決断を後押しした意外な人物とは
日本プロ野球名球会公式ユーチューブチャンネルが9日に投稿した動画に、元巨人で野球解説者の駒田徳広氏がゲスト出演。現役時代に決断した巨人から横浜(現DeNA)へのFA移籍の真相を明かした。 >>梶谷獲得の巨人に「後が怖い」懸念の声も?的確な補強敢行も不安視されているリスクとは<< 当時プロ13年目・31歳の1993年オフに巨人から横浜にFA移籍し、巨人生え抜きとしては初めてFAで国内他球団に移籍した選手となった駒田氏。今回の動画では、当時の長嶋茂雄監督の前に巨人を率いた藤田元司前監督(故人)の言葉が移籍決断の理由と明かしその経緯を語った。 1993年は「.249・7本・39打点・109安打」と不振に終わり、当時の中畑清打撃コーチとの確執も度々報じられていた駒田氏。「このまま巨人にいると控えになってしまう」と危機感を抱きFA宣言したがそれでも迷いが生じていたため、自身がプロ入りした1981年当時の指揮官でもあった藤田前監督に電話で去就を相談したという。 すると、藤田前監督は「巨人を出るだけの勇気と根性はあるか」と、当時は今以上に誰もが憧れる球団だった巨人を自ら出ていく覚悟はあるのかと質問。これに対し駒田氏が「いろんな準備も覚悟もできてます」と答えると、藤田前監督は「じゃあ出ろ」と移籍を後押しすると同時に、「どこから話がきてるんだ?」と獲得を打診している球団を聞いてきたという。 オファーが届いている球団を駒田氏が複数明かすと、藤田前監督はその中から「コマ、何も言わずに黙って横浜へ行け」と横浜を選ぶよう助言。駒田氏によると、藤田前監督は1989~91年にかけ巨人でヘッドコーチを務めた近藤昭仁監督が率いる横浜なら悪いようにはしないだろうという思いで横浜入りを勧めてきたという。 藤田前監督の言葉を受け横浜移籍を決断した駒田氏は、正式契約後に改めて藤田前監督に電話で報告。すると「(巨人での13年間は)立派だった、頑張ったよ」、「横浜に行っても何も言わずに頑張るんだよ」とねぎらいと激励の言葉をかけてくれたため号泣したと語っていた。 駒田氏はこの他にもプロ1年目の1981年に当時の王貞治助監督から激怒された話や、今でも印象に残っている長嶋監督のベンチ内での独り言などについて動画内で語っている。 今回の動画を受け、ネット上には「当時は首脳陣と折り合いが悪かったから決断って言われてたけど、前監督に相談してたことは知らなかった」、「藤田さんのことは名前しか知らないけど、物凄く人情味のある監督だったんだな」、「今でいったら高橋由伸(前巨人監督)が亀井(善行)をDeNAに行かせるみたいなものって考えると凄い話だな」、「結果的に1000本近くヒット打ったわけだから横浜移籍は大正解だったな」といった反応が多数寄せられている。 現役時代に巨人(1981-1993)、横浜(1994-2000)でプレーした58歳の駒田氏と、監督として巨人(1981-1983,1989-1992)を2度指揮し、2006年2月9日に74歳でこの世を去った藤田前監督。両者は1981~83年、1989~92年の7シーズンにわたり共に巨人で戦っている。 巨人時代に「.289・132本・484打点・1027安打」といった数字を残した駒田氏は、横浜でも「.289・63本・469打点・979安打」と活躍し通算2000本安打も達成している。成功に終わったFA移籍の裏に藤田前監督の存在があったことに驚いたファンも多かったようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について日本プロ野球名球会公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UC9ycDcfxt5ge3hUFfnqnQ9Q
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スポーツ 2020年09月01日 14時10分
引退の阪神・藤川に「やっぱり…」川上氏がシーズン前の“予兆”を告白 プロ22年目の決断にファン・OBから惜別相次ぐ
阪神(1999-2012,2016-)、カブス(2013-2014)、レンジャーズ(2015)、四国IL・高知(2015)でプレーし、昨シーズンまで日米通算で「795登板・60勝163ホールド243セーブ・防御率2.13」といった成績を残した阪神の40歳・藤川球児。8月31日、その藤川が今シーズン限りで引退することを球団が発表し複数メディアも広く報じた。 >>阪神・藤川、シーズン中に引退表明したワケ 昨オフの意味深な発言、球団の思惑も去就に影響か<< 今季は「11試合・1勝3敗1ホールド2セーブ・防御率7.20」と、打ち込まれる場面が目立った藤川。8月13日に右上肢コンディション不良を理由に一軍登録を抹消され二軍でリハビリ中だが、報道によるとシーズンを通じてコンディションを維持するのが難しいことや、チームに迷惑をかけている現状に責任を感じたことが引退決断の理由となったという。 また、阪神・谷本修球団本部長が報道陣に語ったところによると、長年の勤続疲労からか藤川の体は至るところから悲鳴が上がっているとのこと。また、右上肢のコンディション不良についても本来なら手術が必要なレベルだというが、本人は諦めずに今シーズン中の復帰をめざす意向であるという。 藤川の引退発表を受け、元巨人・上原浩治氏や元中日・川上憲伸氏ら球界OBがSNSを通じてコメントしている。上原氏は8月31日に自身の公式ツイッターに「身体は長年の蓄積でボロボロになるよなぁ」、「また投げれる 最後まで期待してるよ!」と投稿。44歳で引退した自身の経験を踏まえて藤川の状態を察しつつも、再び一軍に戻ってくることを願っている。 今年2月に藤川を取材したという川上氏も8月31日に自身の公式ツイッターに投稿。「そうか、、、やっぱり身体はボロボロだよなぁ、、いつも元気に振る舞ってる球児だから、、」と取材時は明るい態度で身体の不調を感じ取らせないようにしていたと振り返った上で、「本当にお疲れ様!」と藤川をいたわった。 今回の一件を受けて、ネット上にも「40歳を迎えた今年でとうとう引退か…長い間阪神でプレーしてくれてありがとう」、「プロ入り直後から応援してきた選手だから寂しくなるなあ」、「引退してほしくないけど本人が決めたならしょうがない、最後にもう一度一軍で勇姿を見せてくれ」、「名球会に入って有終の美を飾ってくれたらそれが一番嬉しい」といった声が数多く寄せられている。 名球会入会条件である250セーブまで、残り5セーブまで迫っている藤川。阪神はここまで全120試合のちょうど半分である60試合を消化しているが、残り試合で250セーブを達成し有終の美を飾ることはできるだろうか。文 / 柴田雅人記事内の引用について上原浩治氏の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/TeamUehara川上憲伸氏の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/Kenshink2k2k2
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スポーツ 2020年06月16日 15時35分
元楽天監督・大久保氏「みそぎの時間は終わり」 清原和博氏の執行猶予満了にファン・OBからエール 今後の活動は名球会がカギに?
2016年2月2日に覚せい剤を所持していたとして覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕され、同5月に懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けた元プロ野球選手の清原和博氏。その清原氏の執行猶予期間が2020年6月15日午前0時をもって満了した。 >>清原和博氏、薬物逮捕・拘留の内幕を告白「呂律回ってない」おぼつかない口調に心配の声も<< 清原氏は同日、自身の著書『薬物依存症』を出版した文藝春秋社を通じコメントを発表。「自分の行為を悔いる日々の中で、これまで私がいかに多くの人の力によって生かされていたのかという事実に気づきました」とした上で、今後については「これからの人生を薬物依存症で苦しむ人たちと、野球界、とくに私自身の原点でもあります高校野球に捧げたいと考えております」と表明している。 清原氏の執行猶予満了を受けて、複数の球界OBがコメント。1997年から2003年にかけて清原氏と共に巨人でプレーしたソフトバンク野球振興部・入来祐作氏は、15日に自身の公式インスタグラムに投稿。「沢山の先輩、後輩、ファンの皆様がそっと見守っていることと思います まだまだ険しい道が続くと思いますがまたお会い出来る日を楽しみにしています」と清原氏を激励した。 1986年から1992年にかけて清原氏と西武で同僚だった元楽天監督・大久保博元氏も、16日に自身の公式ツイッターに投稿。「長いみそぎの時間は終わりました」、「ご声援よろしくお願いします!」と、今後の清原氏への応援をファンに呼びかけている。 今回の一件を受け、ネット上には「ここからが本当のスタート、このまま頑張って薬物を断ち切ってほしい」、「再び手を染めないように努力すれば、球界に戻る道も開けてくるはず」、「球界に戻っては欲しいけどそう簡単に戻れるとも思えない、とりあえず小さな仕事から地道に頑張るしか無さそう」、「『またやるんじゃないの?』って不信感持ってる人も多いだろうから、行動で信頼を取り返していくしかないぞ」といった反応が多数寄せられている。 「今後の清原氏は野球や薬物依存症の啓発イベントをこなしつつ球界復帰への道を探ることになると思われますが、その足がかりとなりそうなのが毎年オフに開催される名球会のイベントです。昨年11月に清原氏と共に沖縄での野球イベントに参加した名球会メンバーの佐々木主浩氏は『(名球会のイベントには)執行猶予が明ければ出られるでしょう』と語っていますが、佐々木氏の言葉通りになればそこからオファーが増加する可能性は十分にあります。また、名球会には1993年3月に覚せい剤を所持していたとして覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役2年4月の実刑判決を受けるも、1995年4月の出所後に球界復帰を果たした江夏豊氏も在籍しています。江夏氏は野球に対する真摯な姿勢が評価されたことが復帰につながったといわれていますが、清原氏は江夏氏に自身の今後について相談してみるのも一手ではないでしょうか」(野球ライター) 今回発表したコメントの最後には、「不安、絶望、微かな希望。これが今の僕の全てです」と直筆で記してもいる清原氏。現在は今後を不安視していることがうかがえるが、自身の行いで“微かな希望”を実現させることはできるのか。今後の動向も要注目だ。文 / 柴田雅人記事内の引用について入来祐作氏の公式インスタグラムよりhttps://www.instagram.com/irikiyusaku大久保博元氏の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/DAVEOHKUBO
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