パ・リーグは前半戦を終えて5球団が勝率5割を超える大混戦。投打ともに誤算続きの楽天が借金をまとめて背負い続けている「一人負け状態」だ。
巻き返しに躍起の楽天・立花陽三球団社長は、シーズン半ばでの大手術に着手。ヤクルトやロサンゼルス・ドジャースなどで日米通算182勝を挙げた石井一久氏にゼネラルマネージャー(GM)就任を要請したのだ。
「前向きに進んでいると理解している」(立花社長)と、石井氏も応諾の方向で仕事の調整を進めているといい、9月にもGMに着任するとみられている。
「石井氏は同球団でのプレー経験こそないが、楽天は野村克也監督時代に当時ヤクルトからFA宣言した石井氏の獲得に乗り出したことがある。三木谷浩史オーナーも日米に強い人脈を持ち、引退後、吉本興業に入社した異色のキャリアを持つ石井を高く評価している。故・星野仙一球団副会長の後継者に期待しているのだろう」(楽天球団関係者)
その石井氏は7月10日、ニッポン放送でヤクルト対巨人の解説を行うため神宮球場入りした際、BS朝日で解説を務めた元チームメートの古田敦也氏(52)と密談。これを察知したスポーツメディアは「石井GM、古田監督」と書き立てた。石井氏は古田兼任監督が就任した'06年にヤクルトに復帰するなど良好な関係にあり、有力な監督候補には違いない。
ほかに、監督候補には地元仙台出身で楽天OBの斎藤隆氏、福島出身の中畑清氏などの名前が挙がっているが、“宇宙人”の異名を持つ石井氏は「人それぞれの考えがありますからね、想像力を膨らませていけばいいと思います」とのらりくらり。しかし、本誌が入手した情報によれば、本命は「超大物監督のJr.」だという。断っておくが、ミスター長嶋茂雄氏の長男・一茂氏ではない。
石井氏の楽天GM就任に見え隠れするのが、石井氏の恩師・野村克也夫妻だ。“サッチー”の愛称で知られた沙知代さんは昨年12月、東京都世田谷区の自宅で倒れ、虚血性心不全で死去した(享年85)。関係者によれば、「あっけない。こんな別れがあるのか」と呆然とする野村氏に沙知代さんが託した言葉は「カツノリを監督に」だったという。
今回のドラマは、実はここから始まる。知将で知られる野村氏がひねり出したのは、教え子「石井楽天GM」だったのだ。
GMは、チーム編成の最高責任者で、監督選定のキーマン。監督の器でもなければ、監督になる気もサラサラない石井氏の特異性を見抜き、楽天最高首脳に推奨。間接的に“野村克則氏(45)を監督に誘導”というわけだ。
克則氏はサッチーがオーナーを務めた少年野球『港東ムース』で英才教育を受け、明大でも捕手で活躍。野村克也監督時代のヤクルトに3順目指名で入団した。
「現役時代は古田の控えでしたが、最下位チームを日本一に導いた『野村の教え』を誰より理解していた人です。野村監督退団後は巨人、楽天でもプレー。現役引退後は楽天コーチに転身し、野村ヤクルトの頭脳だった橋上秀樹ヘッドコーチとともに作戦面を担当。その後、巨人コーチを経て、'15年からヤクルトの一軍バッテリーコーチを務めています。どこかのジュニアと違い、監督として化ける要素を十分に備えていますよ」(スポーツ紙デスク)
実は石井氏は、この克則氏と同い年。沙知代さんの葬儀で、「沙知代夫人には、入団した時から他の選手以上に気にかけてもらい、克則と同い年だったこともあり、息子のようにかわいがってもらった。最近はお会いできていませんでしたが、とても残念です」と追悼するなど、野村ファミリーの骨格人物の1人だ。
三木谷オーナーは、'15年に大久保博元氏を監督起用したように、気鋭の経営者らしく、一般的な物差しとは別の視点で指導者の評価を下す。野村イズムを継承しながら、耐えて裏方を務めてきた克則氏もその1人で、評価は高い。
「沙知代さんは福島県白河市の隣村の生まれで、中畑清氏の出身地とも近い。ともに東北楽天を応援しており、中畑氏が監督に就く可能性もあった。しかし、中畑氏には巨人監督就任の可能性があるため、今回は克則氏のサポートに回ったのでしょう」(楽天OBの野球解説者)
今年1月4日に急逝した星野球団副会長も明大の後輩・克則氏を可愛がっており、目をかけていた1人だ。奇しくも楽天にゆかりのある大物2人の死が石井GMを導き、“野村監督”への流れを作っているのだ。
石井夫人の木佐彩子さんは元フジテレビアナウンサーで、当時『プロ野球ニュース』を担当。球界に強い人脈を持ち、三木谷オーナーは編成面での“夫人外交”に期待するところも少なくないはずだ。こちらの夫婦はメディア受けするだけに、監督は地味な方がコンビは組みやすいという狙いもあるのかもしれない。