史上最強&最高のタッグチームとしてその名を挙げる声は、今なお多い。
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1983年に結成されたロード・ウォリアーズは、プロレス界に大きな変革をもたらすことになった。
その一つは「短時間勝負の常態化」である。
デビュー当初は特にその傾向が強く、入場テーマ曲『アイアンマン』が鳴り響く中、エプロンから滑り込むようにリングインすると、相手を一方的に蹴散らす。ダブル・インパクト(ドゥームズデイ・デバイス)と称された合体攻撃(アニマルが相手を担ぎ上げたところにホークがクローズラインをぶち込んでフォールする)で試合を決するまでの所要時間は、長くても5分前後であった。
「以前から顔見世的なテレビマッチでは、主役選手がかませの二流選手を秒殺するという展開はよくあったのですが、ウォリアーズの場合は通常興行のメインイベントでもそれをやったのが新しい試みでした」(プロレスライター)
人気選手が短時間でリングを降りたのでは観客からすれば物足りないし、戦う両選手がそれぞれに持ち味を出し合ってこそストーリーがつながるというのが、それまでの興行における常識的な考え方であった。しかし、ウォリアーズはそれを完全に覆す。
ファンは短時間での圧勝を待ち望むようになり、それに応えることで、さらにウォリアーズの人気は高まっていった。
「ウォリアーズが成功した一因としては、アメリカにおけるケーブルテレビ網の発達があったと思われます。じっくりと会場でレスリングを楽しむというより、テレビで刺激的な試合を見たいというファンが増えたのでしょう」(同)
実際のところを言えば、まだデビュー間もなかった2人は長い試合をこなすだけの技量がなく、それでああいう試合ぶりになったという事情もあった。これが逆に幸いしたわけだ。
「肉体美をつくり上げるためのステロイド剤使用により、スタミナ面での不安があったのかもしれない。短い時間でタッチを繰り返したことで、試合展開は自然とスピーディーになり、そのことがかえってファンに新しさを感じさせることにもなった」(同)
ウォリアーズが人気を博したことで、テレビ放送や興行形態も変わっていった。それまではリング上での闘いにより、以降のストーリーをつくり上げていたものが、テレビにおいては試合以外のパフォーマンスや、リング外でのドラマ仕立てのしゃべりが重視されるようになったのだ。
また、興行も昔ながらの地域密着型で小会場を回る巡業スタイルではなく、ライト層のファンを多く集めるビッグショーが中心になっていった。
★試合運びよりもキャラを重要視
こうした傾向が特に顕著だったのがWWF(現WWE)で、スキットと呼ばれるVTR映像はその人気上昇の最大要素となり、試合自体は付け足しのような扱いになることもあった。
1987年にウォリアーズのコピー版として登場したアルティメット・ウォリアーなどは、全力疾走でのリングインからのディンゴ・ボンバー、リフトアップ・スラム、アルティメット・スプラッシュというまさに秒殺のワンパターンでありながら、一躍、大人気スター選手となっている。
そして、このアルティメット・ウォリアーの成功が象徴するように、ウォリアーズのもたらしたもう一つの変革が“キャラクター・プロレス”であった。
もともとプロレスにおいては、ヒールとベビーフェイスの役割分担により成り立っていた部分が大きかったのだが、そこには「勝つためには悪事も行う」とか「悪玉をやっつける」というような何かしらの意味付けがあった。
ところが、ウォリアーズにはそういうものが何もなく、しゃべりもマネジャーのポール・エラリングに一任すると、命名の由来となった映画『マッドマックス2』に登場する荒くれ者さながらに暴れ回るのみ。
「これがウケたことにより、勧善懲悪のようなストーリーをつむぐことよりも瞬間ごとのインパクト、また、レスリング技術よりもキャラクター性が重視されることになりました」(同)
レスリングをベースとした闘いから、ヒーローショーへプロレスを変質させたとも言えようか。
こうしたウォリアーズによる変革は、プロレス業界に大きな利益をもたらした。しかし、一方で「プロレスリングの堕落だ」と嘆くオールドファンがいたことも、頭の片隅に置く必要はありそうだ。
ロード・ウォリアーズ
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PROFILE●アニマル・ウォリアー/1960年1月26日/アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身/身長189㎝、135㎏。
ホーク・ウォリアー/1957年9月12日〜2003年10月19日/アメリカ合衆国ミネソタ州出身/身長191㎝、125㎏。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)