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【帰ってきたアイドル親衛隊】あの舌禍騒動があったから…ずっと歌手を続けていたら今の地位は無かった松本明子

 1980年代はアイドルブームとして注目されていた時代だが、そのアイドルの登竜門のひとつとして『スター誕生!』(日本テレビ系)というオーディション番組が注目されていた。ここからは、山口百恵・ピンクレディー・小泉今日子・中森明菜などが輩出され、彼女たちはトップスターの座を勝ち取った。

 その『スター誕生!』から意外な人が輩出されている。82年に行われた決戦大会で合格した松本明子である。かつてアイドル歌手として活動していたことは有名な話だが、あえて振り返ってみたいと思う。松本は17歳になったばかりの83年5月に『♂×♀×Kiss』でデビューをすることになった。清純派が主流のアイドルが多い中、ちょっと意味深な曲がデビュー曲となったことで注目を浴びた。同期には、岩井小百合・大沢逸美・伊藤麻衣子などがいたが、世間的には微妙な年と言われていた。それでも私は恒例の各局が開催している音楽祭などには参加して、何度も松本の生で歌う姿を見ていたのだが、イマイチ興味をそそられるところもなかったこともあり、新曲発表イベントなど松本目当てで、現場に行くことは無かった。

 そんな経緯もあったが、84年8月に偶然にも松本と出会う出来事があった。当時の私は、アイドルの現場はもちろんのこと、並行してプロレスも大好きだったこともあり、プロレス観戦も趣味の一環だった。この日は、よみうりランドで全日本プロレスのファン感謝イベントがあったので、観に行くことにした。ずっとケガで欠場が続いていた大仁田厚が出るということで、本当に楽しみにしていた。そのイベントに全日本プロレスと何の縁も無い松本明子が登場したから驚きだ。普段なら松本が出たことで驚くことは無かったのだが、出るはずがないと思われる場所に出たことで、何故かそこで松本に対して高まってしまった自分がいた。イベント終了後には、しっかり話しをして握手までしてくれて、これまでのイメージを払拭してくれたので、私の中で松本は気になる存在になりつつあった。

 6月に3枚目のシングル『夏のギャルソン』の発売が決まっていたので、そのイベントには参加しようと思っていたのだが、この頃に大きな事件が起きてしまった。有名な「オ●●コ」事件である。『オールナイトニッポン』10周年&『オールナイトフジ』1周年の記念番組で、笑福亭鶴光と片岡鶴太郎に煽られて、生放送で「オ●●コ」と発言してしまったのだ。その発言以降は、完全に干されてしまい、3曲を出しただけで、アイドル歌手としての活動は終了してしまった。

 そこから数年は芸能活動はほぼ無い状態だったが、アイドルを捨ててバラエティタレントとして再起を図ったところ、見事にハマりバラドルとして注目を浴びるようになったのだ。その頃の私は芸人をやっていたこともあり、松本と一緒に仕事をする機会も多くあったが、さすがにオ●●コ事件については聞くことができなかった。

 波乱万丈な人生だった松本だが、今ではバラエティ番組のみならず、女優としても活動し、完全な成功者になっているのではないかと思う。たらればで申し訳ないが、ずっとアイドル歌手として続けていたら今の地位は無かったと思う。ある意味では、無理矢理「オ●●コ」と言わせてしまった笑福亭鶴光と片岡鶴太郎が、松本の人生を良い方に導き出してくれた恩人なのかもしれない。

 もう歌手としての松本を見ることはほとんど無いと思うが、今となってはデビュー曲の『♂×♀×Kiss』を改めて聞いてみたい。さすがに持ち曲も少ないので、コンサートとかの開催は無いと思うので、何かの番組の企画で歌ってもらいたい。その時はしっかり録画をして永久保存したいと思う。

(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

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