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人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第14回 『炭管事件』1審、2審の判決文

 昭和23年12月15日、東京高検特捜部は「炭管疑獄」で1年生議員ながら法務政務次官に就任していた田中角栄を逮捕、小菅の東京拘置所に収監した。
 このときの検察の取り調べに強気一辺倒で反論した田中は、一審の東京地裁での裁判でも、終始、九州の炭鉱業者から受け取った100万円の小切手については一貫してワイロであることを認めなかった。しかし、地裁判決は懲役六カ月(執行猶予二年)、直ちに控訴し、26年6月、東京高裁でようやく無罪を勝ち取ることになる。
 辛くも「塀の外」へ飛び降りることに成功した60年以上ほど前になるこのときの一審、二審判決文は筆者の手元にあるが(左上写真)、田中が懸命に逃げ切った形跡がしのばれるのである。

 一方、「獄中」に関してこんなエピソードがある。東京拘置所に収監された直後、妻・ハナが面会に訪れた。このとき、さしもの強気の田中もハナの顔を見るや、辺りはばからずポロポロと涙を流したとの証言がある。もう一つ。これはそれから30年近く経つことになるロッキード事件での逮捕で、田中はひと足先にこの事件で逮捕、収監された橋本登美三郎(元運輸相)に実に適切な指示(?)を与えたことだった。
 田中の妻・ハナが、慰めのための花束を橋本夫人に贈った。橋本夫人からお礼の電話が入ったとき、ちょうど受話器を取ったのが田中だった。礼を述べる夫人に、田中はこうまくし立てた。「花束だ? 何だそりゃあ。そんなもんはちっとも役に立たん。小菅はね、食いもの、まず食いものなんだ。小菅のことは、わしが一番よく知っている。まあ、わしが後のことはよろしくやるから心配せんようにしなさい!」。その直後、“実利”を知る田中から小菅の橋本のもとに栄養たっぷりの差し入れが届けられた。“小菅通”ならではの田中の指示であった。

 さて、話は戻る。小菅に収監されて間がない中、田中の逮捕がキッカケで内閣不信任案が可決、衆議院が解散され総選挙ということになった。あせった田中は、何と獄中からの立候補を表明した。憲政史上、初の“珍事”でもあったのである。
 「カイサン タノム」。昭和23年12月23日、選挙区である新潟県南魚沼郡にある田中後援者の自宅に、突然、こんな電報が舞い込んだ。発信者はもとより田中、発信先は「東京・小菅」とあった。同時に、選挙広報にいわく、「炭管問題はヌレギヌである」と謳ったのであった。

 ところが、立候補声明はしたものの保釈決定がなかなか下りず、ジリジリした田中は「オレがここを出たら、逮捕状を出した裁判官は必ずクビにしてやるッ」などと息巻くばかりであった。その待ちに待った保釈は翌24年1月13日。選挙戦は、投票日の1月23日までわずか10日を残すだけの終盤戦に入っていた。
 保釈された田中は、その足ですぐ上野駅へ向かった。上越線の夜行に飛び乗り、「カイサン タノム」との電報を打った先の後援者がいる南魚沼郡六日町を目指したのである。折から、隆盛を誇った田中土建工業自体も炭管事件の影響、さらに時のインフレの経済状況で資材も手に入らなくなるなど、すっかり“左前”の様相を呈していた。

 「カイサン タノム」の電報の“趣旨”は「カネ タノム」ということでもあったのだった。
 深い雪の中を歩いてようやく後援者宅に着いた田中は、待ち構えていた他の支持者を前に、すでに持ち前のエネルギッシュぶりを取り戻していた。立ち直りが早いのも田中の“特性”である。用意してくれていたナニガシかの選挙資金を前に、「コレが一番」などと言いながらそそくさとカバンにしまうとこう言った。「大体、アレはヌレギヌ、やましいことはまったくないッ」「小菅ではこんなうまいミソ汁は飲めなかったなァ」などの“語録”を残してまずはひと眠り、その後ただちに六日町から上越線を下り、次の地へ向かうというバイタリティーぶりを示したのであった。

 選挙戦の模様を伝える朝日新聞・新潟県版(昭和24年1月18日付)には、次のような記述がある。
 「あせり気味の候補者四人が、小千谷から片貝へ向かった。三人は風に雪におびえ中止。勇敢な一人が線路沿いに歩いて行ったら、鉄橋の真ん中で向こうから列車が進行してきた。“南無三”と橋ゲタにぶら下がって急場を助かり、辛くも演説会に間に合った…」。その「勇敢な一人」が田中であったことは、この辺りでは定着した話になっている。

 一方、演説会では、田中は「小菅報告」に重点を置き、弁明にこれ努めた。「エー、解散してからの一日は十日ぐれェに長く感じたものであります! 獄にいて感じたことが一つあるッ。それは、同じように収容されているシベリアの未帰還の兵隊さんのことであります。この経験を生かし、私は大いに頑張って帰還運動に努力するつもりであるッ」。
 自らの「獄中」を「未帰還兵のシベリア」と置き換えるのだから論理のスリ替えもはなはだしく、田中の苦戦、あせりぶりが知れたのであった。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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