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新重賞今昔物語 1998年AR共和国杯を勝ったユーセイトップラン

 毎年リーディング争いを繰り広げ、いまや中央競馬を代表する一流トレーナーに成長した音無調教師だが、開業当初から順調に勝ち星を重ねたわけではなかった。

 初年度の1995年はわずか1勝で終了。素質馬を集めるために、他の若手調教師と同じように、歩き続け、頭を下げて回った。そんな地道な努力が結実するきっかけをつくったのが、1998年のAR共和国杯を制したユーセイトップランだった。
 トップラン以前にイナズマタカオーで重賞を2勝(ちなみに95年の1勝は同馬の北九州記念)していたが、この馬は日迫厩舎が解散したとき、スタッフとともに受け継いだもの。音無厩舎の「生え抜き」としては、トップランが最初の重賞ウイナーだった。
 しかしこの馬も、厩舎の道のり同様、いきなり能力を発揮したわけではない。なんと96年2月のデビュー戦(10着)は、勝ち馬から6秒遅れという文句なしのタイムオーバー。イバラの道を思わせた。だが同年10月に初勝利を挙げると、そこからじわじわ地力を強化。いかにも晩成型の上昇軌道をたどり、98年2月、ダイヤモンドSで初重賞Vを達成した。

 このときはすでに、長距離戦で見せるしぶとい追い込みが板に付いていたが、AR共和国杯は12番人気と非常に評価が低かった。前走の宝塚記念が12着の大敗。しかもそれから4カ月ぶりの実戦ながら、馬体重が16キロも減っていたのが敬遠されたようだ。
 レースは道中、最後方を追走。1番人気のグラスワンダーと2番人気のダイワオーシュウは、3、4番手を進んだ。1000メートル通過は62秒前後と、先行した有力馬に有利なスローペースだったが、直線手前の大けやき付近からロングスパートをかけたトップランは、エーピーランドとの最後の競り合いも、上がり3F33秒8の末脚でハナ差しのぎ切った。
 その後は、翌年のダイヤモンドSで連覇を達成したが、春の天皇賞を目指していた矢先に骨折。秋には復帰したものの、往年のしぶとい脚は影を潜め、2001年10月に登録を抹消された。
 引退後は乗馬に転向。2008年9月3日には、マリンスタジアムで行われた千葉ロッテVS埼玉西武戦で、始球式を行う柴田善騎手を背に登場。ファンを沸かせるなど、幸せな余生を送っている。

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