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奈良の神社話その十二 日本初の学問の神様はここ!?──磯城郡田原本町・小杜(こもり)神社

 現在最古とされる歴史書『古事記』。読んだことはなくても、書名くらいは一度は耳にしたことがあるだろう。実は来年2012年は「古事記編纂1300年」。大事業の記念すべき年だという。

 『古事記』は天武天皇の勅命により稗田阿礼が『帝紀』『先代旧事』を誦習、元明天皇の御代に太安万侶が文章に記録し、献上した。一度見たものは忘れないという舎人・稗田阿礼と駢麗体(べんれいたい・随〜唐時代に流行した文体)などを自在に使いこなした文官・太安万侶。この二人の才能なくして完成しえなかった事業である。

 安万侶を輩出した多氏(多氏は安万侶の代に姓を「多」から「太」に改めたという)が拠点としたのが、多坐彌志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社こと多神社が鎮座する大和盆地のほぼ中央。多神社は大和屈指の大社で、かつては広大な社域を誇っていた。社伝によれば祭神は多氏の遠祖・神八井耳尊(かむやいみみのみこと)、その弟の神武天皇他二座。

 この多神社の100m程南に太安万侶その人を祀る小杜神社がある。小さな社だが、学問の神としてはつとに有名。何しろ菅原道真公が台頭するはるか以前から尊崇を集める元祖・学問の神とでもいうべき存在、そのご利益はいわずもがなだろう。

 神社東方には小さな円墳があるそうで、地元では安万侶の墓だと信じられていた。ところが1979年1月、奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の名が記された墓誌などが発見され、墓だと認定されることに。場所こそ違っていたが、伝説に近かった天才の実在が証明され大きな話題となった。

 さて、受験シーズンまっ只中。『古事記』全三巻を完成させた大いなる才能にあやかってみてはいかが。

(写真「『延喜式』にもある古社の境内」)
神社ライター 宮家美樹

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