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新重賞今昔物語 2000年京成杯AHを勝ったシンボリインディ

 栄枯盛衰は世のならいとはよくいうが、競走馬の牧場経営ほどリスキーな世界もあまりないだろう。「名門」と言われた牧場が短期間で倒産に追い込まれたり、有力な外国資本に買収されたりする話は珍しくない。

 かつては社台グループをしのぐほどの隆盛と伝統を誇っていた超名門シンボリ牧場も、1980年代の中盤以降、長い低迷期を経験している。
 古くは有馬記念2勝などGI級競走を4勝したスピードシンボリ、ディープインパクトが出現した今も「史上最強馬はこっち」という人が多い皇帝シンボリルドルフ、ダービー馬シリウスシンボリなど名馬を多数輩出。緑地の勝負服やシンボリの冠名には威厳さえ漂っていた。
 ところがルドルフの引退後、反動のように冬の時代が訪れる。輸入種牡馬が相次いで失敗、また生産馬が欧州の血脈に極端に偏っていたため、レースのスピード化への対応も遅れた。
 そんな状況を打破するきっかけとなったのが、2000年の京成杯AHを制したシンボリインディ。先代の総帥・和田共弘氏が見向きもしなかった米国血統を見染めたのは息子の孝弘氏だった。

 起死回生をかけて、1995年のキーンランド繁殖セールでエーピーインディの仔を宿したゲーリックチューンを15万ドルで購入した。翌1月に産まれたインディは、馬があまりに見栄えしたため一時は米国デビューからケンタッキーダービーを目指すことも検討されたが、結局、藤沢和調教師に預けられた。
 99年にはNHKマイルCを制覇。シンボリ牧場にとってルドルフの有馬記念(85年)以来、実に14年ぶりのGI勝利となった。その後、ケガの影響もあって不振に陥ったが、その流れを断ち切ったのが、マイルC以来1年4カ月ぶりのVとなった京成杯だった。
 道中は5、6番手の絶好位から、先に抜け出していたトロットスターをクビ差抑えた。騎乗した岡部騎手にとって重賞150勝目のメモリアルにもなった。
 この復活劇でさらなる躍進が期待されたが、2001年4月のダービー卿CTのゲート入りの際、暴れて右下腿骨開放骨折を発症。安楽死の処分が取られた。快速血統ダンチヒの肌に名馬エーピーインディを父に持つ日本向きの良血。種牡馬としても期待が大きかっただけに、残念な幕切れとなってしまった。

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