青山「それは分かりません。ただ、一つ言えるのは、締め切りの間際に遺族のAさんが私に写真を提供してくださった。それが『週刊現代』8月14日号に出たものです」
リアルライブ「記事は拝見しました。墜落寸前の機内から窓の外に向かって撮られた写真に、オレンジ色の物体が写っているという内容は衝撃的でした。惜しくも問題の写真は白黒でしたね」
青山「拡大したカラー写真がこれですね(※添付写真)。定かではないですけど、画像の専門家の先生に見ていただいた時のコメントがここに載っていまして、『黒っぽい円形の塊の領域内は中心から右側へ帯状、もしくは扇状にオレンジがかっているのが分かります。円錐、もしくは円筒の様なものを正面右斜めから見た様なイメージで、この物体はオレンジ体の方向から飛行機の進行方向へ向かっている様に見えますが、データ量が少なく、定かではありません。黒い…』と解析されています」
リアルライブ「これは結局、このオレンジ色の物体というのは、なんでしょう。写真を残された遺族の人は気づいていたのですか?」
青山「ええ、気づいています。もちろん。そのために私に見せてくれたわけです」
リアルライブ「ご遺族の方は、いわゆるマスコミに接触して、オレンジ色の物体が平行して飛んでいたってことを訴えてはないんですか」
青山「ご自分の口からは言っていないと思います」
リアルライブ「確かに、この窓から外に向けて何枚か撮影していますが、これだけ撮るっていうことは、撮った方は、窓の外のオレンジ色の物体に奇異な印象を受けて、『これは何だ』ということで撮ったわけですよね。しかし、この写真は、何故80年代にはあまり出回らなかったんですか?」
青山「これはインタビューの過程で知ったのですけれども。(写真を撮られた)犠牲者の方のお父さんのお母さんが、これを即持ち帰り、マスコミに公開すると仰ったんですが、群馬県の方で、『写真週刊誌とかいろいろに狙われて大変だし、これは実際に重要な証拠書類になるので、群馬県で保管します』と言われたそうなんです」
リアルライブ「じゃあ、当時は群馬県が保存していたのですか。何年くらいの期間でしょうか?」
青山「ええと、それが不思議なんですけれども、いつまで保存するのかと思っていたら、不起訴になって、さらに、時効が終わってから一週間後に急に返しに来たそうです」
リアルライブ「不思議ですね。作為的なことばかりで」
青山「そうですね、私もそう思いますね。不起訴になったくらいで返ってくるなら分かるんですが、時効後、ということなので。あと、このご遺族の方はその日から一週間くらいの間に記者会見を開いて、1990年に公開をしています」
リアルライブ「これが、もしパソコン普及以降にこの写真が公開されていれば、もっと写真を拡大する人や、(オレンジ色の物体に)気づく人も増えてたんでしょうね。当時のマスコミは、この小さなオレンジ色の物体に関して気づいたりしたんでしょうか」
青山「あの時は拡大できなかったので、気づいてないと思うんですよ」
リアルライブ「じゃあ、群馬県は気づいていたんですかね?」
青山「それは不明ですが、航路を特定するためという理由で、3枚ほど外の写真を採用したとあります。それが事故調査報告書なのです。フライトレコーダーなりレーダーなり、いろんな客観的事実がたくさんある中で、なぜ犠牲者が撮ったこの写真を「航路を特定するため」という証拠で採用し、時効まで保管したのでしょうか」
リアルライブ「それは、写真の意味する真実から目をそらすミスリードっていうことですか?」
青山「そう思いますか? それとも、採用した写真の言い訳をそういう風にしてとりあえず言っておかないと、後で分かった時に『なぜこの写真を採用したんだ』って言われた時に、まさかこの辺(オレンジ色の物体)が気になったとか言えないじゃないですか。今の技術をもってして、画像研究家によるとオレンジの筒状に見えるというこの物体に関して、説明してほしいのです」
((3)に続く)
青山透子(あおやま・とうこ)…宮城県出身。全国学芸コンクール、戯曲・シナリオ部門第一席、社団法人日本民間放送連盟会長賞受賞歴を持つ。日本航空株式会社に客室乗務員として入社。その後、日本航空客室訓練部のノウハウをもとに様々な企業研修を行う。全国の官公庁、各種企業、病院等の接遇教育インストラクターを経て、専門学校、大学講師。大阪国際花と緑の博覧会、愛知万博等の教育担当。
『日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ』公式サイト
http://www.magazineland.jp/tenkuu/