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極地探検史上最悪の悲劇。フランクリン隊全滅の謎?(1)

 さる2014年9月9日「フランクリン探検隊の船を発見」なる、カナダ発のニュースが全世界に配信された。翌日には日本のメディアも記事を配信したが、フランクリン探検隊という、日本では聞き慣れない存在と、その背景については、残念ながらあまり踏み込んだ解説がなされなかった。フランクリン探検隊とは、イギリス海軍が19世紀半ばに派遣した調査隊で、大西洋からカナダの北を回って太平洋へ抜ける「北西航路」を開拓する事が目的だった。しかし、隊長のジョン・フランクリン海軍大佐をはじめとする総勢129名の隊員は、乗っていた2隻の軍艦とともに北極圏で姿を消した。そして、多くの艦船や探検家が十数年にわたって探検隊の行方を追った結果、隊員は全て死亡していた事が明らかとなったのである。

 フランクリン探検隊は北西航路開拓史上最悪の悲劇であり、同時に最大の謎を残したとされる。そして、現在でもなお多くの人々が謎の解明を試みる、非常に興味深い歴史的事件なのだ。

 まず、フランクリン探検隊は北極探検の経験者を多数含む海軍の精鋭からなる、非常に大規模な探検隊であった(当初は134名だったが、途中で5名が任を解かれて帰国した)。彼らが乗った2隻の軍艦、エレバスにテラーは1839年から1843年にかけて南極での探検調査にも用いられており、船体は流氷にも耐えうるよう補強されていた他、蒸気機関を始めとする当時最新鋭の装備が施されていた。さらに、探検隊はやはり当時最新鋭の保存食である「缶詰」を大量に用意し、無補給でも数年間の遠征が可能となっていたのである。

 そして、なにより探検の成功を約束しているかのように思われたのが、隊長であるジョン・フランクリン卿の経験と輝かしい実績だった。ジョン・フランクリンは1820年代に北極圏を3回も探検しており、特に1819年から22年にかけての遠征では20名の隊員から9名もの死者を出すほどの難行だった。ところが、イギリスではむしろ途方も無い困難を乗り越えた勇気の男として評価され、飢餓のあまりに長靴の革を食べようとしたことから「靴を食った男」とも呼ばれるようになっていた。そして1825年にはカナダ最長のマッケンジー川を探検し、名声を確固たるものとしていたのである。

 探検隊は1845年にイギリスを出発し、途中のグリーンランドで数名の隊員を帰国させた後、カナダ北部で捕鯨船と遭遇したのを最後に消息を絶った。そして、大規模な捜索の結果、冒頭に述べたように悲惨な最後を迎えていたことが明らかとなったのである。

 そして…。

 フランクリン探検隊は、北極圏のどこで全滅したのか?
 フランクリン探検隊は、いかなる理由で全滅したのか?
 フランクリン探検隊は、どのような最後を迎えたのか?

 これらの謎が残されたのである。

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