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遠い記憶 八王子競馬場の歴史(5)

 「雨でもやります明るい競馬」。メディアや通信機器を使っての情報が未発達だった時代、開催の有無をめぐってファンの混乱を避けようと、主催者がこのキャッチフレーズを打ち出したまでは前回で記した通りである。
 しかし、日本は季節によって、台風がやってくるし、当然、冬には雪に見舞われる日もある。ファンを思ってのこの「雨天決行プラン」は、結果的に荒天でも適用されることとなり、こんなアクシデントを招くこともあった。
 当時の都営競馬の開催に携わっていた職員は、悪天候に見舞われた、とある日の競馬を次のようにつづっている。
 「雨でもやるのだから、風くらい何だという訳で風速二十米、黒ぼくの競馬場の軽い土が、四六時中、空に舞い上がって、為に天日さえも暗い日に競馬をやらなければならない日もあった。その日の正午過ぎ頃は、最も風が猛威を振るった時で、その前後は、砂塵によって、視界も零という最悪条件にあった。将に第三レース、千二百米、向こう正面のスタートが切られようとしている。スタート付近の人も馬も姿が見えない。その間に発走時刻は経過してしまう。どうしたのかと案じている隙もなく、ゴール寸前十数米付近の砂塵の幕が異様に動く。その中から黒い影が沸いて、ほのかにそれと判れば、何時の間にスタートしたのか一団の馬群がゴールに向かって突進して来る。あわてて審判委員は着順を判定して、僅かに事なきを得た…」(原文まま)
 まさしく間一髪とはこのことである。迫力のある描写から、当時の競馬のさまがうかがい知れる。

 八王子競馬は、後に大井競馬場に移る直前にも、雪の中で開催、入場人員365人、売上金60万円の日もあったと記録にある。
 また、前回までに記した「フォーカス馬券」に関しても、いかにもアバウトな当時らしい慣習があった。八王子競馬は、6枠制で行われていた。その枠順の決め方はかなり乱雑で、主催者が強いと思われる馬を5枠までに入れてしまう。残りは何頭いようが、6枠に入れてしまうのである。これで枠番連勝単式の馬券は、1から5までの組み合わせなら堅く収まるが、6枠が絡めば高配当必至…こんな今ではちょっと考えられない馬券が発売されていた。
 ※参考文献(大井競馬の歩み/悲運の多摩八王子競馬/八王子の歴史と文化/都営競馬の回想)

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