芸能ニュース 2021年08月20日 18時45分
“視聴率を5%上げる男”落語家・笑福亭仁鶴さん死去 上方落語の重鎮で『笑百科』などでも活躍、吉本興業の礎を築いた存在
落語家の笑福亭仁鶴(本名・岡本武士)さんが、17日に骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で逝去していたことを、所属事務所の吉本興業株式会社が20日に発表した。満84歳だった。 仁鶴さんは、1962年に6代目笑福亭松鶴に弟子入りし、翌年1963年に3代目林家染丸師匠の紹介で吉本興業に所属。劇場で高座に上がりながら、テレビ、ラジオ、ドラマ、映画、舞台など、多彩な才能を各方面で発揮していた。 深夜ラジオ番組『オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に』(ラジオ大阪)や、『ABCヤングリクエスト』(朝日放送ラジオ)などでは、現代のラジオ番組の原型を作り上げ、ラジオ番組内で「どんなんかな~」、「うれしかるかる」などのギャグを連発し、若者から絶大な人気を博した。 1967年4月には、吉本新喜劇女優で『たかこ姫』の愛称で親しまれた永隆子さんと結婚。その後の活躍はさらに目覚ましく、1969年スタートの『ヤングおー! おー!』(毎日放送)では、初代司会者に抜擢されるなど、その人気ぶりから“視聴率を5%上げる男”と評されていた。また、同年にラジオ番組の企画で仁鶴自ら作詞を手掛けた、楽曲『おばちゃんのブルース』は多くの人に愛され大ヒットを記録した。 また、1985年にスタートした「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のセリフで有名な法律番組『バラエティー生活笑百科』(NHK大阪)では、30年以上司会を務め長きにわたり、お茶の間に親しまれた。 70歳を超えてからも精力的に落語の独演会を開催し、晩年になんばグランド花月で披露した『不動坊』は、後輩たちが継承する上方落語の代表作に。多数の所属タレントが劇場にとどまらず、テレビやラジオなどで活躍できる現在の吉本興業の礎を築いた“中興の祖”だったという。 葬儀は既に近親者、関係者のみで執り行われた。