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競輪人国記 三重(1) 高原永伍にライバル心むき出しだった“弁慶”北村健

 四日市・松阪の競輪場は最近ではGII開催やナイター競輪をやって意欲満々のところを見せている。松阪では川越場外がファンの人気を集め、時には本場よりも売り上げが高額ということもある。

 さて、三重の人国記だが、三重登録から岐阜に転籍した須田一二三(16期)その前には大阪から、最後は三重に戻ってきた半田弘之(期前)が特別競輪では活躍した。
 半田は昭和25年7月から引退するまでに864勝を挙げている。特に昭和40年までの活躍は素晴らしく、700勝のメモリアルレースは40年6月の小田原だった。当時は中部に今ほど強い選手はいなかった。半田は大阪登録だったから近畿ラインでは番手、3番手をまわった。いかにも職人タイプの選手で競りはうまかったし、まくり差しには職人芸があった。
 初タイトルは全国都道府県選抜争覇競輪で、昭和33年一宮の2000m優勝。続く34年立川でも2000m優勝と連覇している。
 それ以前はデビュー2年目の昭和26年の大阪中央・日本選手権競輪、30年の同じく大阪中央・日本選手権、35年の後楽園・日本選手権で優参した。高松宮杯では37年、オールスターは38年の名古屋で優参している。いわゆる今のGI優勝はなかったが、とにかくしぶとかった。
 13期生には牛島清臣、博史の兄弟、上山秋夫(後福井)と特別競輪クラスがいた。名をはせたのは弟博史。地脚屋で昭和38年のベルギー世界戦ではロードに出場した。
 競輪ではトリッキーなレースで時折、豪快なまくりを決めた。兄の清臣は鋭いまくりを武器に成績では博史をしのいでいた。
 上山も先行まくり。地元福井では無敵で、ほとんど優勝をかっさらった。高松宮杯でも一発があった。
 北村健(14期)は近畿・中部の先行で人気ものだった。180cmの大きな体で、なぜか「弁慶」というニックネーム。なかなかのハンサムボーイで、どうしてその名が付いたのかはわからない。確かに僧兵姿をさせれば弁慶みたいなところもあった。
 先行の名手・高原永伍(神奈川)にライバルむき出しで挑戦、まくられたケースも多かったが、近畿の先輩追い込みに「弁慶頼むぜ」といわれると、必ず先行した気の良いところがあった。その馬力を買われて鈴鹿サーキットでバイクとの競走に出て、大腿部の筋肉を痛めたという話もある。頼まれるとイヤといえない性格で、北村がいると、周囲に明るい空気を漂わせていた。
 今の選手で言えば好調時の松岡彰洋(69期)みたいな感じで、どこからでも仕掛けていくところがあった。いとこの女流選手・北村典子は野寺英男(東京から茨城)と結婚、北村と野寺は親戚筋に当たる。

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