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「牛込橋」に見る江戸城の歴史

 東京都千代田区に「牛込橋」がある。橋を渡ると新宿区で、どこに架かっているのかをいえばJRの線路の上。路線開通当時は甲武鉄道で、1906年(明治39年)に国有化された。その牛込橋付近まで、外堀の水面沿いに線路は続いている。

 江戸城(現・皇居)を囲う外堀は、北条氏を滅亡させた報奨として豊臣秀吉から関東へ国替えをさせられた徳川家康が本格工事に着手した。2代将軍秀忠の時代に完成した。延長で約14キロ。本丸の北にあった雉子橋門から時計回りに数え、浅草門までを合計すると、18の城門があった。城下の武家屋敷から町地を取り巻いて防御することから「惣構(そうがまえ)」とも呼ばれた。

 牛込橋周辺は、かつて見附とも呼ばれた「牛込門」があった場所。現在、橋のたもとに「史跡・江戸城外堀跡・牛込見附(牛込御門)跡」の碑が建てられている。碑には、牛込門の様子を伝える写真も載せられている。高い石垣に、幅の広い水堀。やぐらが建ち、それでいて橋は狭く小さい。いまにも橋をあげるか壊すかして、籠城に入りそうな雰囲気すらある。江戸の「惣構」は、豊臣氏が築いた大坂城(とそれを攻めた経験)を参考に、堀割がなされたともいわれている。

 牛込橋は、寛永13年(1636年)、外堀が開かれた際、阿波徳島藩主蜂須賀忠英によって造られた。橋の両側は「番町方」(現・千代田区側)と「牛込方」(現・新宿区側)と呼ばれ、武家屋敷が建ち並んでいた。

 牛込門は、本丸を中心とする江戸城の郭(曲輪・くるわ)が建てられた台地の端にある。江戸時代には、牛込門まで、神田川や日本橋川を使って、東京湾から船が上がってきたという。「牛込揚場」の碑文を読むと、牛込の揚場には、全国から輸送されてきた米・みそ・しょうゆ・酒・材木などが荷揚げされたそうだ。(竹内みちまろ)

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