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戦場の怪談

 太平洋戦争における日本軍は広大な地域に大量の軍を派遣しており、戦争後期は拡大しすぎた地域への兵站は伸びきり、戦局の悪化に伴い物資の補給もままならない状態が続いた。兵士達は、食料などを現地調達せざるを得ない状況であった。

 戦場における怪談の中でも、硫黄島では未だに心霊現象が絶えないと聞く。
 硫黄島の戦いとは、1945年2月19日から3月26日までの、約一か月における戦いであり、日本軍は栗林中将以下、ほとんどの兵が玉砕して果てた。
 硫黄島における日本軍の戦法は巧妙であり、地下30メートルの場所に、長さ18キロにも及ぶ地下壕で結び、今までに例のない粘り強い戦いを繰り広げた。米軍は当初5日間でこの島を落とせると見ていたが、思いの他の激戦となった。更に地下壕内では高温多湿で絶えず硫黄が沸いており、飲料水が絶えず枯渇していた。おまけに、40度にも達する暑さの中、日本軍兵士達は劣悪な環境の中を戦ったのである。日本軍守備隊2万2千786名に対してアメリカ軍は11万の兵力を投入し、アメリカ軍は2万8千686名の死傷者を出し、日本軍の死傷者1万8千375名を上回った唯一の戦線であった。
 硫黄島は戦後、アメリカに管理されていたのが1968年に日本に返還された。だが、日本兵の遺骨収集は手付かずの状態であり、洞窟内では無数の日本兵の遺骨が終戦時の状態で残っていた。彼等が使っていたベッドや注射器なども、そのままの状態で残されていたと言う。現在でも硫黄島には1万2千以上の兵士の遺骨が眠っていると聞く。
 同島が日本に返還後に、現在は海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれているが、民間人の立ち入りは禁止されている。

 そんな硫黄島は、夜になると霊の支配する島となると言う。昼夜を問わずに聞こえる行軍の音は有名であり、戦死した日本兵が集団となっては自衛隊兵士が眠る宿舎の窓の外に立っているのだそうだ。中には体の一部がない兵士や、黒焦げな状態の兵士などの姿も見られるとのことである。
 自衛隊員は慰霊碑の水を毎日取り替え、更に宿舎ではコップに水を入れて毎晩置くそうである。そうしないと「水をくれ、水をくれ」と言いながら、日本軍の霊が宿舎内に入って来てしまうのだと言う。
 また、硫黄島からは一粒の砂すら内地に持ち帰ることを禁止していると言われている。以前、小石を記念に持ち帰った自衛官が変死したり、病気になるなどの事件が相次いだそうである。それから硫黄島の砂には、生きて帰れなかった日本兵の血が染み込んでいると信じられる様になり、内地に戻る自衛官はズボンに付いた砂すら、全て払い落とす習慣がついたのだと言う。 
 それでも、内地に帰りたい兵士の霊が自衛官に憑いて来るのだという。そんな場合、内地に向かう途中に自衛官は激しい頭痛や肩こりなどが続くが、内地に着いたとたんに痛みは消えてしまうのだと言う。

(藤原真)

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