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ハンデ・戦力外を乗り越えての偉業! 打撃タイトル“19冠”の大打者、張本勲氏が打ち立てた史上唯一の3000本安打

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張本勲氏

 現役時代に日本ハム(1959-1975/前身球団含む)、巨人(1976-1979)、ロッテ(1980-1981)で活躍した元プロ野球選手の張本勲氏。レギュラー出演する『サンデーモーニング』(TBS系)での歯に衣着せぬコメントはたびたび物議を醸している。5月17日の放送では、ドイツのサッカーリーグ『ブンデスリーガ』の再開に「何でやるんかな」と異議を唱え賛否両論を呼ぶなど他競技へ物申すこともしばしばだ。

 現在では『サンデーモーニング』の印象が強い張本氏だが、現役時代は球界で輝かしい実績を残したれっきとした名選手。首位打者7回(歴代1位タイ)、最高出塁率9回(歴代1位)、通算トリプルスリー(3割300本300盗塁/史上唯一)など様々なプロ野球記録を打ち立てているが、中でも最も有名なのは現在に至るまで張本氏以外に達成者はいない3000本安打だ。

 1980年5月28日、川崎球場で行われたロッテ対阪急の一戦。当時ロッテ所属で40歳だった張本氏は、試合前時点で通算2998安打をマーク。3000本安打達成へ、この日「2番・DH」で先発出場した。

 1回裏の第1打席に阪急・谷村智啓から安打を放ち2999安打とするも、第2、第3打席は凡退に終わった張本氏。しかし、6回裏、二塁にランナーを置いた場面で、張本氏は阪急・山口高志のシュートを捉えて2ランホームランを放ち、前人未踏の3000本安打を本塁打で達成した。

 ヘルメットを放り投げながら打球を見届け、ガッツポーズも見せながらベースを一周した張本氏。ただ、ここまでの波乱万丈な道のりを思い返したのか、試合後には「感無量」と言葉を詰まらせた。

 1940年、韓国出身の両親の元広島で生まれた張本氏。小学校高学年の時に野球を始めたが、4歳の時に負ったやけどの影響で利き手の右手をうまく扱えず。そのため、利き手を左手に変えることを余儀なくされたが、めげずに野球に打ち込み1959年に東映入団を果たした。

 入団後の張本氏は1959年に新人王を獲得すると、その後1975年までに首位打者7回、最高出塁率9回、最多安打3回(当時は表彰無し)、リーグMVP1回と、右手のハンデを全く感じさせない打棒で数々のタイトルを獲得。しかし、この間にチームは東映、日拓、日本ハムと経営母体が次々に変わり、大杉勝男、土橋正幸といった主力・コーチが相次いで退団。そして張本氏も1975年オフ、当時のオーナーの意向もあり巨人へトレードされた。

 巨人移籍後の張本氏は王貞治の前を打つ3番打者として、1976~1977年のリーグ2連覇に貢献。しかし、翌年以降は左目の不調や右太ももの怪我で低迷し、3000本安打まで残り39本に迫った1979年オフに巨人の戦力構想から外れてしまった。

 当初はこのまま引退することを考えたが、「3000本安打を達成しないままやめたら悔いが残る」という周囲の説得もあり翻意した張本氏。金銭トレードで移籍したロッテで達成した3000本安打は、紆余曲折のプロ22年間を経て達成した記録でもあった。

 1981年限りで引退した張本氏は、最終的に3085安打をマーク。この記録は日米通算ではイチロー(4367安打/日本では1278安打)が破っているが、プロ野球では巨人・金田正一の「400勝」、阪急・福本豊の「1065盗塁」と共に今後も破られない不滅の記録の1つとして数えられている。

文 / 柴田雅人

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