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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(62)

 その場で川本ら2名が徳次に付いて行くと伝えた。しかし後日、結局は全員が徳次のところに戻って来たのだった。
 関東大震災からちょうど1年後の大正13(1924)年9月1日、早川金属工業研究所が設立された。当時はまだ電気も引かれていない、木造2階建ての新工場だ。川本ら3名の他に、土地の少年5名を雇った。
 松井町での独立当初と同様の気概で陣頭指揮に当たった。朝は薄暗いうちから起き、夜も石油ランプの下で9時、10時まで働いた。休日も月の1日か15日のどちらか1日だけだ。誰も不平を言わなかった。
 シャープペンシルの特許は全て日本文具製造に譲ったので、早川金属工業研究所では、まず万年筆の付属金具やクリップの新型を考案して製造、販売することから始めた。

 これらの製品を持って、大阪中の万年筆製造元を1軒、1軒訪ね、営業して回った。材料を仕入れるために全て現金販売にした。幸い製品は好評で9月末には相当な利益が上がった。それで設立1カ月後には、電柱10本余りの費用を自己負担して電気を引くことができ、機械類の導入が可能になった。
 周辺は元々、水田地帯のため、雨が降ると道がぬかるんで通行が困難になる状態だった。そこで毎朝始業前に全員総出で道普請をした。次第に道の状況は改善され、周辺の住民からも感謝された。
 そんな頃、東京の慶応大学医学部の岡田教授から歯科治療材料の注文が入った。以前にも岡田教授から製造を依頼され、納品したことのある品だ。教授は徳次が大阪で事業を開始したことを聞いて、わざわざ注文してきてくれたのだった。
 11月に入り、緊急に製作機械を導入する必要が生じた。まとまった資金がどうしても入用になり、徳次は岡田教授と巻島に機械購入のための借金を申し込む書面を送った。2人ともすぐに了承してくれ、徳次は2人に会うために上京した。
 久しぶりの東京は震災の傷跡が至る所に残るとはいえ、目覚ましく復興していた。

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