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桂歌蔵の芸人バカ一代 コントD51編

 今回からスタートする月イチ連載「桂歌蔵の芸人バカ一代」。歌蔵師匠が毎回、お笑い芸人と対談する。記念すべき第1回のゲストは「コントD51」のお二人。

 −−けんじ先生、コントD51は結成されて何年になります?
 香川けんじ(兄)「こいつと(弟・香川まさし)組んでもう34年になるかな。おれの芸歴は37年」

 −−そんなに!?
 けんじ「弟の前に2人組んだ人がいたんだけど、長続きしなかった。1人目は北大路欣也さんの付き人、2人目は勝新太郎さんの弟子でね」

 −−どっちかというと役者の世界の人たち?
 けんじ「そう。おれはもともと俳優を目指して18歳の時に四国の香川から上京したから。で、芸能界に入ろうときっかけを探していた時に、チャーリー石黒さんという人のバンドボーイ募集の記事を目にして、バンドボーイになった。で、テレビのリハーサルの時、スタジオの隅に立ってたら、勝新さんの事務所の人に声をかけられて、舞台に出してやるということになって、いきなり『座頭市物語』に出してもらったの。その舞台で勝新さんと共演してたのが、朝丘雪路さんだった。そしたらおれを舞台に上げてくれた関係者の人が、お嬢(朝丘雪路)を紹介するって言ってくれて、それから朝丘さんの付き人を務めることになったんだ」

 −−目まぐるしい展開ですね(笑)。
 けんじ「それまで3畳1間の暮らしだったのが、いきなり大豪邸、朝丘さんと同じひとつ屋根の下で暮らすことになった。当時、朝丘さんは37歳だったかな」

 −−まさに女ざかり(笑)。変な気分になりませんでした?
 けんじ「なったよ、そりゃ(笑)。おれ、パンティーやブラジャーも洗濯してたしね(笑)」
 まさし「そのパンティーを何枚か盗んで売ったりしてたらしいよ(笑)」
 けんじ「余計なこと言うなよ!(笑)。けど一生懸命尽くしたおかげで、朝丘さん主演の映画やドラマ、舞台にも出してもらった。その舞台を修学旅行で来ていたこいつが見たんだよね。当時、こいつは田舎の暴走族だった(笑)」
 まさし「そう。で、アニキの舞台見て、誰でもできるんだな、と思った(笑)」
 けんじ「まだ駆け出しだったから(苦笑)。けどそんなにいい時代は続かない。朝丘さんが津川雅彦さんと結婚して、ちょうど津川さんの弟子がやめたのね。で、津川さんの付き人になっちゃった。当時、津川さん、畑を持ってて、芝居より畑仕事をやらされることが多くなった。畑仕事がイヤで香川から上京したのに、なんでまた畑仕事だと、弟子をやめさせてもらった」

 −−それで園芸から演芸に(笑)。
 けんじ「そうなの。で、3人目でまさしと組んで初舞台は浅草木馬館。20分持ち時間があったんだけど、5分しかもたなかった(苦笑)」
 まさし「しかもお客さん2人だけ。2人とも朝丘さんの弟子だった(笑)」

 −−初舞台はやっぱり緊張するもんですよね。
 けんじ「にっちもさっちもいかなかったな、あれは。その後、名古屋の大須演芸場で1年、浅草に帰って松竹演芸場にも出て、度胸をつけていった」

 −−当時のテレビの演芸番組でも活躍してましたよね。
 けんじ「うん。横山やすしさんが司会を務めた『テレビ演芸』という番組で勝ち抜いて14代目のチャンピオンにもなった」
 まさし「13代目が竹中直人、15代目が宮川大助・花子。俺たちは谷間みたいなもんだ(笑)」

 −−いやいや! コントD51のこれからの目標を聞かせて下さい。
 けんじ「俺たち、34年もやってるけど、まだコントグループとして形になってない、世に出てないと思うんだ。もっと腕を磨いて評価されて、劇団を作って座長になって、津川さんと朝丘さんをゲストに呼べるようになりたいと思う。それまでは頑張るよ」

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