search
とじる
トップ > 芸能ネタ > 追悼! 本誌だけが知る秘話 ビートたけし幻の高倉健主演映画「大阿闍梨」(2)

追悼! 本誌だけが知る秘話 ビートたけし幻の高倉健主演映画「大阿闍梨」(2)

 『夜叉』が公開されて20年ほど経った頃、健さんが行きつけの銀座一丁目のフランス料理店に、たけしが偶然通い始めたのだという。
 店のスタッフのMさんが「最近、たけしさんに頻繁にお店を利用していただいてます」と健さんに伝えると、「一緒に映画を作りたいから、たけしさんの連絡場所を教えてください」と言われ、事務所の電話番号を教えた。
 「それで健さんが俺の事務所に電話をくれたんだ。『もしもし高倉健です。たけしさんと連絡を取りたいんですが』、『何言ってんだコノヤロー』、それでも『高倉です』ってさ。まさか健さんから直接、電話がかかってくるとは思わないから、『松村邦洋だろ、モノマネばっかりしやがって』って、ガチャンと切っちゃったんだよ」(たけし)

 後日、電話をかけて来たのが健さん本人だったことを知ったたけしは、東映の大部屋俳優だった頃から健さんを尊敬している石倉三郎を通して連絡先を聞き出し、自ら電話を入れた。
 「それで健さん、『たけしさんのところに電話すると、すぐに切られるんですよ。モノマネするなと言われるんです』って言うんだ。怒って当たり前なのに、この気遣いには頭が下がったね。それで『たけしさん、一緒に映画を作りましょう』って話になった」(同)

 前出の映画関係者は言う。
 「健さんから誘われたたけしは、ロートルのヤクザが世直しする『ヤクザ名球会』とか、イギリスの映画スターのジュード・ロウを起用するとか、いろいろと構想を練っていましたよ」

 ところがその後、健さんからの連絡がパッタリなくなったという。
 「実は当時、健さんの恩人だった建設会社の社長が亡くなって、3年間、喪に服して仕事関係先とは連絡を遮断していたんです」(健さんの側近)

 喪が明けた健さんは、自ら主演を務める映画『あなたへ』('12年公開)でたけしに出演オファー。
 たけしが言う。
 「この『あなたへ』でも、岐阜県の高山に着いたのは深夜だったけど、やっぱり健さんが待っててくれたんだ。その時はさすがに健さんに花を持って待っててもらうのは申し訳なかったから、高山入りする日時は誰にも内緒にしてた。で、バレないように地味なバンで深夜に高山入り。到着したらドアをコンコンって叩く音がして、ちょっと見たら地元のヤクザみたいでヤバイと思ってさ。顔合わしちゃいけないと思って気づかないフリをしてると『タケちゃーん』って。そんなところ写真を撮られて、“黒い交際”なんて言われたら嫌だって、絶対にバンを降りないようにしようと思ってたら、健さんが中を覗きこんで『高倉だよ。ごくろうさまでした』って。またまた参っちゃったよ」

 結果的に、これが健さん主演の最後の作品となってしまったが、映画関係者はこう話す。
 「せっかくの誘いですから『あなたへ』のオファーは受けましたが、実はたけしは“大阿闍梨”をテーマにした『阿闍梨』という作品を健さんで撮りたいと考えていた。それで健さんと以前から約束していた“一緒に映画を撮ろう”という約束を果たそうとしていたんです。実現しないまま他界してしまったことは非常に残念です」
 たけしが構想を練っていた「阿闍梨」とは、仏教では弟子を教え範となる師、高僧を意味する。大阿闍梨はその上を行く偉大な僧だ。

 プライベートでの健さんは、'59年に映画で共演した故・江利チエミさんと結婚。しかし、江利さんに嫉妬した異父姉による週刊誌での誹謗中傷記事で夫婦関係に溝ができ、'71年に離婚した。
 「その後、45歳という若さで他界した江利さんの月命日に、健さんは品川にあるホテルの床屋に行ってから欠かさずお墓参りに行っていました。離婚を最後まで後悔していましたよ」(健さんの側近)

 江利さんの死後には映画『幸福の黄色いハンカチ』で共演した女優の倍賞千恵子との“熱愛”が報じられたが、前出の映画関係者はこう否定する。
 「倍賞の自宅マンション近くに健さんの車が止めてあったというのが熱愛の根拠でしたが、実はその近くに有名なゲイバー『Y』があった。健さんは、明け方4時頃に『Y』でコーヒーを飲むのが日課になっていたんです。倍賞とは何もなかった。健さんが愛した女性は最期まで江利さんだけでした」

 前出の側近は言う。
 「糖尿病がひどいとは言っていましたが、悪性リンパ腫については周りが心配するから、最後まで言いませんでしたね」

 最後まで気を使い、男を貫き通した健さんに合掌。
(構成・本多圭)

芸能ネタ→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

芸能ネタ→

もっと見る→

注目タグ