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俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッド〉

 スポーツや格闘技の世界で「進化」「革命」なる言葉はよく見掛けるが、そのほとんどはメディアによる一時的な修飾語にすぎない。真に「革命的」な出来事などは、めったにお目にかかれるものではない。
 そんな中にあって初代タイガーマスクの登場はまさしく「プロレス界の革命」であり、当時のファンは「進化したプロレス」を目の当たりにすることになった。

 1981年4月23日、東京・蔵前国技館、タイガーマスクvsダイナマイト・キッド。前週のワールドプロレスリング中継において、その参戦が唐突に告知された。もちろんアニメにおいてはその名を知らぬ者のいない“超大物”である。
 「ただ当時は既存キャラクターとのコラボという概念は薄く、マスクマン自体もイロモノ的に見られていました。そのため多くのファンは興味以上の期待は抱いていなかったように思います」(スポーツ紙記者)

 そのころの新日本プロレスの主役はあくまでもアントニオ猪木であり、当日来場したファンのほとんどの目当ても、メーンに組まれた猪木vsスタン・ハンセンのNWF王座戦であった。
 試合開始直前には、原作者としてタイガーを激励するために梶原一騎がリングに上がると、観客からブーイングが起きる一幕も。その理由は、つい1年ほど前に猪木vsウィリー・ウィリアムスが行われたことから、梶原を極真側の人間と見るファンも多かったのだ。
 実際は、このころの梶原と極真は対立状態にあり、そのため梶原がプロレス界に接近してタイガー誕生となったわけだが、事情を知らないファンからすれば、タイガーが新日にとっての敵か味方かすら分からない。さらに、マスクやコスチュームもどこかチープでマンガとは似つかわしくない…。
 そうしたことから、決してタイガー初登場はファンから大歓迎されたわけではなかったが、試合開始のゴングと同時にそんなムードは一変する。

 ブルース・リーのごとき軽快なステップからのローリングソバット。これは空振りとなったが、それまでプロレスのリングで見たことのない軽やかな動きに、会場の至るところから静かな驚きの声が漏れる。
 相手にバックを取らせておいて、その場で自身の体をクルクルと回転させると、スライディングしてのカニ挟みで倒し、脚を取ってのレッグロック。
 そうした動きのすべてにおいて、スピード、キレのいずれもが、これまでのプロレスとは別次元のものであり、観客はただただ見惚れるしかなかった。

 対戦相手のキッドとて、藤波辰爾をはじめとする新日ジュニア勢と好勝負を繰り広げてきた実力者である。だがそんな強豪を、ひと回り身体の小さいタイガーが翻弄している。
 「極め付けはキッドをコーナーに詰めてのサマーソルトキック。相手の胸板を踏み台にしてフワリと宙を舞うと、そのまま後方に一回転する。その姿のあまりの華麗さに、普段は闘いのライブ感を重視していたテレビ中継が、禁を破って試合途中でのリプレー映像を挟み込んだほどでした」(プロレスライター)

 タイガーに半信半疑だった観客も、いつの間にか大歓声を送り始めていた。
 「見慣れたはずのドロップキックやフライングクロスチョップも、タイガーがやると見栄えが違う。言っては悪いが、それまでのジュニアヘビー級の闘いは、タイガーの出現と同時に鈍臭い過去の遺物になったのです」(同)

 そんなタイガーに対し、気迫とパワーで存在感を示したキッドもさすがだが、しかし、この日の主役にはかなわなかった。
 タイガーが場外からリングに戻るところを捕えたキッドはロープ越しにブレーンバスターを仕掛ける。だが、タイガーは空中で身体を反転させてこれを逃れると、すかさずキッドのバックに回ってジャーマンスープレクス! 爪先までピンと伸びた完璧なブリッジが完成し、カウントが3つ数えられた。
 「今の選手と比較したとき、ドロップキックならオカダ・カズチカ、フライング系の技なら飯伏幸太などはタイガー以上に高度なことをやっていますが、それでもトータルでは全盛時のタイガーを越えるレスラーはいまだ現れていない」(同)

 タイガーデビュー戦の衝撃は瞬く間に広まり、ほどなく、空前の新日ブームが巻き起こることになる。

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