これまでの政府答弁では、集団的自衛権については、「集団的自衛権とは、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とするもので、その行使は憲法上許されない」という見解を示してきたが、安倍総理は2月5日の参議院予算委員会で、「集団的自衛権の行使が認められるという判断も政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能だ」と答弁していた。
「政府見解を変更するのか」という大串委員の問いかけに安倍総理は、「今までの積み上げで行くなら安保法制懇を作る必要はない。最高の責任者は内閣法制局ではなく私だ。選挙で国民から審判を受けるのは私だ」などと、憲法解釈は自分の権限でできると強弁したのだ。
安倍総理の主張する論理は、憲法には集団的自衛権に関する明文の規定がないから、その解釈は政府が決めればよいというものだ。
しかし、この主張には根本的な問題がある。一つは、日本国憲法には、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という明文の規定があることだ。もうひとつの問題は、そもそも憲法は権力者が暴走しないように存在するのだから、時の政府の解釈によって解釈がコロコロ変わっては困るということだ。だから、もし集団的自衛権を行使したいのであれば、きちんと憲法を改正した上で行えばよい。
安倍総理がその手続きを踏もうとしないのは、そこまでの民意が自分にはないことがわかっているからだろう。安倍内閣の高支持率は経済政策に与えられたもので、安全保障政策に与えられたものではない。しかも、今の高支持も景気が失速すれば、あっという間に消え去ってしまう。だから、今のうちに、解釈改憲を進めてしまおうという魂胆なのだ。
民意のすり替えは、橋下徹大阪市長がやっていることとほとんど同じだ。橋下市長が推進する大阪都構想の法定協議会で、区割り案を絞り込みたいとの橋下氏の提案に野党が慎重審議を主張したところ、橋下氏は激怒して、自らの辞任と市長選への再出馬を表明した。民意が自分にあることを示すためだが、本当の民意を確かめたいなら、来年の大阪市議会選挙で大阪都構想の是非をかけて戦えばよい。
権力者は、強い権力を持つからこそ、その行使には慎重かつ謙虚な姿勢が求められる。ボクサーが強い力を持っているからこそ、絶対に喧嘩をしてはいけないのと同じだ。だから、大きな改革をしようとするときこそ、丁寧に、時間をかけて取り組まなければならないのだ。安倍総理も橋下市長もそのことをまったく理解していない。
ちなみに、権力者が暴走しようとするときこそ、ブレーキ役としての野党が重要になるのだが、民主党も情けない状況になっている。
2月9日の党大会で「安倍内閣を厳しく監視する」という活動方針を採択したにもかかわらず、集団的自衛権の行使容認に関する党見解の発表が見送られた。党の分裂を恐れて、解釈改憲反対と言えなかったのだ。こんなことでは、民主党の再生はあり得ないだろう。