西川は高校時代は柔道部、大学時代はレスリング部に所属し、その後、ブラジリアン柔術を学び08年に健介主宰のプロレス団体「健介オフィス(現DIAMOND RING)」の入門オーディションに合格。大学卒業と同時に入門し、10年5月にプロデビューし、11年9月に退団し、現在はフリーとして活動している。
西川にとって健介は師匠にあたるが、8月中からブログで健介の日常的なシゴキや理不尽な言動について“告発”。イニシャルで「SK」と書いているが、それが健介のことを指しているのは明らか。
先月30日に更新したブログでは11年2月に「プロレスリング・ノア」の栃木大会に参戦した際のことを振り返り、「SKの元へ行くと『ちょっと来い』と言われ階段の踊り場へ連れて行かれました。SKは周りをキョロキョロ見渡し、人がいないのを確認すると、思いっきり殴りかかってきました。髪を鷲掴みにされ、コンクリートの壁に頭を打ち付けられました。頭が一瞬真っ白になり倒れると『立てコラッ!』と言われ立ち上がりました。今度は頬を3発張り手、腹に蹴りを1発入れられ、襟元を掴まれ色々怒鳴り散らされ終わりました」と暴行現場を赤裸々につづり、その後、2週間ダメージが残ったという。
さらに、その夜、北斗から自宅に呼び出され、「今日、何で西やんが殴られたかわかるか?」、「ここに白いマグカップがあるだろ? でもな、先輩が黒って言えば黒だし、黄色と言えば黄色だぞ」、「先輩の言うことは絶対の世界だから、先輩に逆らうようなことはするなよ」と言われたことも明かしている。
「西川が退団する際は『健介オフィス』から一方的に引退と発表されるなどしたため、西川は“告発”の機会をうかがっていたのでは。健介といえば、新日本プロレスで道場長をつとめていた時代の“鬼のシゴキ”を日常化させ、95年には健介とスパーリング中に練習生が脳挫傷で事故死しているが、結局、弟子を持つ身分になっても何も変わっていなかったようだ」(プロレスライター)
西川のブログでのイメージダウンは必至なだけに、健介と北斗がブログやメディアでどのように反論するかが注目される。