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橋下維新vs公明党「抗争」 大阪W選挙圧勝と創価学会理事長交代で変わる勢力図(1)

 「今回の創価学会の新人事は、主要全国各紙とも数行の扱いで、大半の読者は見逃してしまうほどでした。しかし永田町や大阪では、この報道に上へ下への大騒動になっているのです」
 とは、学会ウオッチャー。

 それもそのはず、まずは今期限りで引退が予測されていた原田稔会長が再任され3期目に突入。一方で、次期会長の本命のひとりと目されていた正木正明理事長が「体調不良」を理由に突如、理事長職を辞し、会長の諮問機関『参議会』副議長に就任。理事長後任には庶務畑が長い長谷川重夫副理事長が就任したのだ。
 「前会長の秋谷栄之助氏は75歳で退任しているため、すでに74歳の原田会長の続投はないと思われていた。しかし、会長任期を5年から4年に会則を変更するというウルトラCまで打った上で、続投となったのです」(同)
 正木氏はといえば、まだ61歳。創価大学卒業の本部エリートで池田大作名誉会長の覚えも良く、'06年から9年間も理事長を務め、次期会長の最有力候補と見られていた。しかし、安倍政権が押し通した安保法制には強烈に慎重・反対の立場で動き、公明党にプレッシャーを与えていたという。

 一方、安保法制賛成の立場で動いていた、次期会長争いのもうひとりの有力候補、谷川佳樹氏はどうだったのか。
 「こちらは会長任期を4年に短縮した新会則で次期会長含みとも言える立場の役職、主任副会長に就任したのです。主任副会長の地位は、新会則では《会長を補佐し、会長および理事長に事故のあるときまたは会長および理事長が欠けたとき、会長があらかじめ定める順序に従って、臨時に、会長の職務を行なう》と記されている。つまり、原田会長に何かあれば、谷川氏が実質会長になるということです」(同)

 この人事の意味合いを、学会関係者は次のように読み取る。
 「正木氏は選挙のたびに勝ち続けて“常勝関西”と謳われた大阪、兵庫地区などをまとめる立場。それが、民主党政権発足時の'09年、総選挙で大阪4選挙区と兵庫の2選挙区の6選挙区で全滅した。それが失速への始まりだったわけです」
 この惨敗が原因で、正木氏とコンビを組んでいた関西創価学会のドン、故・西口良三総関西長が更迭された。

 '12年の総選挙では大阪、兵庫などで当時、どの党よりも勢いのあった橋下徹大阪市長の維新の党の存在があった。これに再び関西選挙区全滅を危惧した学会本部や公明党は、橋下氏の唱えた「大阪都構想」協力の“密約”を結び、維新の党が公明党選挙区の対抗馬擁立を見送り、さらに支援を得て元の選挙区でも候補者が復活当選したという。
 ところがその後、地元大阪の公明党や学会の一部と、もともと反維新の正木氏らが反発し、手のひらを返したように大阪都構想では非協力路線に切り替えた。
 「それに橋下氏が激怒し、'14年の総選挙では橋下氏、松井一郎府知事が公明党候補の選挙区から出馬の動きを見せた。この動きに、反正木派の谷川派で学会選挙の主要人物である佐藤浩副会長(広宣局長)が、橋下、松井両氏と太いパイプを持つ菅義偉官房長官と極秘会談。大阪都構想の賛成を条件に、橋下氏らの出馬をとり止めてもらうことで、何とか再び関西選挙区で全員当選に持ち込めたのです」(同)
 このため、反維新、反安保の正木氏らはジリジリと押され、特に西口氏が今年3月、76歳で亡くなると失速気味となる。

 その反面、谷川派が急速に力をつけ、学会、公明は安保法制容認に大きく傾いたという。
 加えて11月の大阪W選挙も、先の佐藤副会長らの動きで橋下新党に有利な“自主投票”に動いた。
 「それらを踏まえた上での、今回の学会人事なのです。まさに今は、原田会長、秋谷前会長、谷川氏、八尋頼雄弁護士は“学会4人組”とも称され、彼らに知恵者の佐藤氏らがバックアップする確固とした新体制固めに入ったと言われています。また、今の執行部は安倍官邸とも太いパイプを持つとも言われている。つまり、来年の参院選を見据え、今の公明党・学会は安倍官邸との蜜月を続けるのがベストの方向ということで、反安倍官邸の正木氏らを切る方向に大きく舵を切ったと見られているのです」(学会関係者)

 かくして正木氏は「体調不良」と申告し、自ら理事長職を辞さざるを得ないところに追い込まれたわけだ。

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