70年代から80年代、有名コメディアンの登竜門ともなっていたのは、東京・渋谷の道玄坂にある渋谷道頓堀劇場。同場所で、プログラムの幕間に登場しては、芸を磨いていたのは、コント赤信号やダチョウ倶楽部。野次が飛んだり、逆に静寂に包まれるなか、歯を食いしばってネタをやり続けたという。
同劇場と肩を並べる歴史の長さを誇るのは、浅草にある浅草フランス座。ここからは、のちに江戸の演芸を支える著名人が多く誕生している。映画“男はつらいよ”シリーズでおなじみの俳優・渥美清(故人)さん、コント55号(萩本欽一&坂上二郎=故人)、劇作家の井上ひさし(故人)さん。そして、最大のヒットメーカーといえる、ツービートのビートたけし&ビートきよし。
たけしは、小林信彦=著の『日本の喜劇人』を読んでフランス座に赴いた。やがて、劇場主の岡山社長とコンビを結成。解散後の紆余曲折を経てツービートになると、漫才ブームに便乗して大人気となった。そのため、86年あたりには、たけし軍団から5人を出張修行させた。そのうちの1組である浅草キッドは、8時間労働で1日1,000円の日当だったというから、そうとうなブラック。呼びこみ、パンツ運び、照明係や洗濯、ネタ見せなど、なんでもしたという。
そんなフランス座からこのたび、裏方ではなく元ダンサーから芸人に転向した新人が誕生した。よしもとクリエイティブ・エージェンシーに籍を置く女性コンビ・濃密ジャスミンの「子輝」だ。
6月6日に放映された『有田ジェネレーション』(TBS系)でテレビに初出演した2人だが、子輝はかつて、前述の道頓堀劇場やフランス座、さらには全国も旅していたアイドルストリッパー。引退後、「できるかな〜」という軽いノリで、芸人の道に進んだ。現在48歳。16歳と19歳の子を育てるママでもある。「ブスとデブがよしもとで優遇される」という極端な持論に基づいて、あえてブスに見せるメイクを施し、体当たりのネタをしている。
どのジャンルにおいても、「元○○」は最大の売り。ついに出た、「元ストリッパー」。今後、どんな“肩書き芸人”が輩出されるのか、楽しみだ。