search
とじる
トップ > 社会 > 達人政治家の処世の極意 第二十九回「三木武吉」

達人政治家の処世の極意 第二十九回「三木武吉」

 交渉事は相手に勢いがあるときは静観だ。力の均衡が崩れたときこそ“出番”となる。

 戦後政治史の中で変幻自在の処世術を駆使、「稀代の謀将」と名を残しているのがこの三木武吉である。
 昭和30年11月15日、当時の日本民主党と自由党が「保守合同」という形で合併、現在の自由民主党が結成された。民主党の領袖・鳩山一郎と自由党のそれの吉田茂とは路線、肌合いがまったく合わなかったが、この三木のハッタリあり、奇襲戦法ありの交渉術、政治手法が功を奏し、紆余曲折を経た揚げ句ようやく日の目を見たのである。三木のこうした「戦争」のバックボーンを成したのは、愛読書であった古代中国の兵法書『孫子』である。表題の言葉は時に三木自身が漏らし、一方でその「三木流」を当時の重鎮政治家が分析したものである。

 折りに、保守陣営に敵対、勢力を伸長させた社会党の右派と左派に統一気運があり、安定勢力に届かぬ第1党の鳩山民主党は吉田がバックの自由党との合同という、保守勢力による政局安定が迫られていた。「反吉田」に徹し、反骨精神の固まりだった民主党幹部の三木は、まず安定政権としての鳩山内閣樹立を目指した。三木は「保守合同が成るなら鳩山内閣は総辞職してもいいし、民主党は解体してもいい」と“爆弾発言”で、自由党の顔色を見るなど手練主管を繰り出したが、鳩山嫌いの吉田は断固ノーで譲らない。交渉は難航に次ぐ難航となった。
 そうした中で、急速に左右の社会党が統一への動きに出た。まさに、鳩山と吉田の「力の均衡が崩れそうになったとき」である。三木はこの瞬間を見逃さず、保守合同の不可避を説くため、自由党側の交渉相手にあえて吉田側近の自由党幹部の大野伴睦に“白羽の矢”を立てた。三木と大野はそれまで「反吉田」「親吉田」で反目、大野が三木を「タヌキ」と言って毛嫌いし、三木もまた大野を「雲助」と言ってはばからない“犬猿の仲”でもあった。

 ここでの三木の何よりの炯眼は、大野に自由党側の当事者能力があると見定めたことであった。交渉事は当事者能力を持たない人物といくらやっても始まらないのは言うまでもない。その上で三木は大野の気性を見抜いていたことが白眉だった。大野は「国民のため」「保守政治のため」といった“目的意識”に弱く、性格は開放的で義理人情を重んじるなど“おだて”に乗りやすいタイプ。決して政治手法のキメが細かいとは言えなかった。
 結局、三木の策術にはまった格好で大野は数度の接触の上、ついに保守合同へ向けて合意する。後日、大野は自著の中で、こう述懐したものだった。
 「私の話に対して、彼の答えは意外なほどまじめだった。じっと目をつぶり、三木さんの話を聞いているうち、私も感激してしまった。私の目の前にいる三木さんは、長い間、政敵だった三木さんとはまったく別個のものを感じさせた。“古ダヌキの三木”ではなく、その心境は中秋の名月のように澄み切っているのではないか。私の心には政敵の三木さんは去り、同志の三木さんがあった」と。何ということはない、政党人として一枚も二枚も上手の「タヌキ」に、「雲助」が見事に籠落、ダマされたことを明らかにしたということだった。

 一方で、三木は「演説名人」としても知られていた。それは単なる言葉の巧みさでなく、聴衆の心理を読んでの機を見るに敏、まさにこちらも変幻自在であった。伝説化しているのが戦後間もなくの総選挙での立合演説会で、婦人団体の代表から「先生にはかねて4人のお妾さんがいるとお聞きしますが、先生の清廉な政治活動、只今のお話とは矛盾があるのでは」と質されたときである。
 会場は一瞬、水を打ったように静かになったが、三木は言った。「ただいまの質問は、数字的な誤りがございます。実は、4人でなく5人おるのであります。ただ、今日では彼女たちも老来廃馬、もはや役に立ちませぬ。いま彼女たちを捨て去るが如き不人情は、この三木にはできませぬ。捨て去るはかえって罪を重ねるゆえんと考え、いまなお面倒を見ているのであります!」と。聴衆は「三木流」ロジックに幻惑されて相手の渦、これを機に政治家三木の人気はかえって上がったということだった。

 保守合同が成った直後の総裁選で三木が押した鳩山一郎が勝利し、初代の自民党総裁(首相)に選出されることになる。三木が愛読した『孫子』には、「敵を知りおのれを知れば百戦あやうからず」「計算多きは勝ち、少なきは勝てず」「始めは処女の如し、後に脱兎の如し」との名言がある。これまた、「三木流」交渉術の奥義を示している。=敬称略=

■三木武吉=1955年の保守合同を成し遂げた最大の功労者で、現在の自由民主党の生みの親。大臣を1度も経験しなかったが、吉田茂内閣を打倒して鳩山一郎内閣を樹立させた。「ヤジ将軍」「策士」などの異名も取った。

小林吉弥(こばやしきちや)
 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。

社会→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

社会→

もっと見る→

注目タグ