今回は平家の海賊討伐がメインである。平清盛(松山ケンイチ)にとっては初陣になる。清盛は初めての本格的な戦闘に気後れし、守役・盛康(佐土井けん太)に深手を負わせてしまう。しかし、海賊との戦いの中で自らの出生の秘密への憤りをぶつけ、最後は爽やかな笑顔を見せるまでに精神的成長を遂げた。
唐船に乗る海賊は中国語が飛び交う国際色豊かな集団である。映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に登場するカリブの海賊のような格好の者もいる。対する平家は朝廷の命を受けた官軍であるが、装備面で海賊側を圧倒している訳ではない。
平家の勝利も一部の武将が見下していた漁民の協力があってのものであった。支配者の公家や武家と被支配者の農民という単純な歴史観とは異なる多様性がある。遍歴民を重視する近時の歴史学の傾向とも合致する。
清盛と行動を共にした高階通憲(阿部サダヲ)は後の信西である。彼は公家であるが、摂関家などの門閥貴族が支配する世の中の矛盾を感じている。新しい時代を待望していたのは武家だけではなく、平安時代の行き詰まりが多面的に描かれる。
清盛の勢力伸張のきっかけとなった保元・平治の乱は複雑な人間関係で、日本史学習者を悩ませている。ドラマでも平板に描くならば視聴者を置き去りにしてしまう。『平清盛』の新西や源義朝は個性的に描いており、今後が期待できる。
海賊の頭目・兎丸(加藤浩次)は人気漫画『ONE PIECE』の主人公ルフィのように「海賊王になる」と叫ぶが、その後の発言も過激であった。王家を日本国の頭目と位置付け、海賊の頭目である自己と相対化する。さらに自己が王家に取って代われば、善悪の価値観が逆転し、民を虐げる王家が悪になると述べる。その考えを清盛も「面白い」と絶賛する。
日本史の一つの特徴は天皇家が政治的権力を失っても権威を持ち続けたことである。これ自体はイスラム世界のカリフのように決して日本固有の事象ではない。自らが至尊の地位に就くよりも天皇の権威を利用する権力者が多かった結果である。その中で平清盛は骨のある存在である。
平氏政権は朝廷の権威を最大限に利用し、それ故に武家政権としての限界を有していたと位置づけられる。しかし、清盛は天皇家を神聖不可侵の存在と崇めていた訳ではない。治承三年の政変では後白河法皇の幽閉をした。続く福原遷都も天皇家の意向を無視した施策であった。これらの出来事は平家の横暴として語られがちであるが、ドラマでは「王家の犬では終わらぬ」と意気込む清盛の反骨精神が肯定的に描かれそうである。
1991年放送のNHK大河ドラマ『太平記』は冒険作であった。戦前の皇国史観では逆賊とされた足利尊氏を主人公としたためである。そこで尊氏は逆賊の非難されるような確固とした叛意を持つ人物ではなく、迷い悩み揺れ動く人物として描かれた。結果的に後醍醐天皇を裏切ることになってしまったと皇国史観の信奉者にも言い訳できる内容であった。それから20年後の『平清盛』では明確に朝廷の支配を打ち破ろうとする人物を主人公とする。タブーを打ち破る大胆さに期待したい。
(林田力)