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渚ようこの新宿ゴールデン街通信局

 先週ここで紹介した映画「戦争の犬たち」の中でも少し触れた、映画評論家の松田政男先生について今週は語りましょう。先生は1933(昭和8)年生まれの74歳。都内各所にいる“彼女たち”のうち、私は新宿ゴールデン街(担当?)の“彼女”だそうです。
 年が祖父と孫娘ほど離れているのですが、私も本名が松田なので同じ松田姓同士、気の置けないお付き合いをさせていただき、いつもタメになるお話(エロ話、過去の女について、ダジャレなど)を聞かされております。ちなみに先生によると「松田とは明治12年に沖縄を弾圧するため、沖縄に初めて渡った者の名前」なのだそうです。
 先生は東京都立北園高校在学中の1950年に日本共産党へ入党し、卒業後は職業革命家になりました。一方、映画評論家としても1970年に足立正生、相倉久人、佐々木守、平岡正明の皆さんと第二次「映画批評」(新泉社)を創刊。表紙やカットを赤瀬川原平さんが担当し、書き手も大島渚、竹中労、唐十郎といった“時代”を感じさせる面々が並んだ、日本映画史上でも無類の硬派な評論誌でした。
 また、先生が共同製作に参画した若松孝二監督のドキュメンタリー映画「略称・連続射殺魔」(69)から生み出した「風景論」は、のちに多くの論争を巻き起こしています。活動家というバックボーンを背景に“言うべきことを言う”姿勢は、商業主義に陥りがちな映画評論という世界の中で、まさに真の意味での映画評論家じゃないかな、と思います。
 なので、私も以前から尊敬の念を持って著作物を分からないなりに読んだりしていたのですが、いつしか一緒に飲んだりするようになってからは、あまりの馬鹿さ加減に呆れ気味。でも、その一方で愛すべきものを感じてしまうのです。
 「以前、俺は変態だったが、ようやく最近まともになったよ」
 そう語る先生ですが、まだ十分変態ですよ。

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