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因縁の地の生首地蔵「道了堂」

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画像はイメージです。

 東京都八王子市、大塚山公園内にある道了堂跡はかつて東京・多摩郡から横浜港への街道として栄えた“絹の道”沿いに建ち、人々の信仰を集めていたお堂の跡である。

 『道了』とは曹洞宗の修験層、妙覚道了の事であり、道了尊、道了大権現などとも呼ばれる。彼は怪力の持ち主で、神奈川県南足柄市にある最乗寺の建立に助力。師の没後は寺門守護と衆生救済を誓って天狗となったと伝えられ、最乗寺の守護神として祀られている。民間信仰としてかなり人気のあった神様らしく、この地に道了堂が出来たのは明治7年、鑓水商人が浅草花川戸より勧請されたことが始まりだという。かつては絹の道の中継点として栄えたものの、鉄道の開通により街道が衰退してゆき、昭和58年には解体されて今の土台のみが残る状況となっている。

 本来なら歴史的・文化的にも注目されるべき道了堂だが、現在では残念ながら心霊スポットとしての側面が強くなってしまっている。道了堂付近では堂が解体される前に何件かの痛ましい事件が起こっており、その事件の「被害者の霊が今もさ迷っている」との噂も流れている。特に、公園内の首無し地蔵は「触ると祟りがある」と言われ、稲川淳二の怪談によってさらにその認知度は全国に広がった。

 付近には街灯がなく、治安の関係もあってこの近辺に住む人は「夜の道了堂には絶対近づいてはいけない」と特に子供に言い聞かせているという。事実、八王子に実家のある事務所スタッフ(今回の写真提供者でもある)も「幼い頃からそう言われて育ったので、今回が初めての来訪だった」と語る。昼間の道了堂跡近辺は自然が豊かで「晴れた日は散策に良いかもしれない」との印象を受けたそうだ。しかし、近年になってちゃんと修復され、首の着けられた『首無し地蔵』には違和感を感じたという。それは、単純に体と頭で年期の入り方に違いがあることからくる物だけではなかったそうだ。そして、彼は更に異様な物を発見する事になる。

 それは、今までの『首無し地蔵』とは全く逆の『生首地蔵』とも言うべき物。側には「地震の影響で一部倒壊しておりますが、余震の影響等がありますので、復旧まで時間がかかります。しばらくの間ご迷惑をおかけします」との注意書きの文章があった。

 「震災直後なら解らなくもないですが、そろそろ直しても良いはず。何もあんな風にさらし首のままにしなくても…。それに、しばらくの間『ご迷惑』って、どういう『迷惑』何でしょうか…?」
 彼は、写真を見ながら首を傾げていた。

(写真提供:穂積昭雪/山口敏太郎事務所)

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