「小沢率いる生活の党は参院選で11人を擁立(改選6)したが、当選者0人とボロ負け状態。だが、日本維新の会や民主、みんなの党が軒並み惨敗したことで、小沢が描く“復活劇”の手はずが整ったとの見方が強まっている。大惨敗を喫したこともあり、党内は混乱をきたしているが、生活関係者からは『早ければ秋にも小沢主導の政界再編の波が起きる』との声も上がっているのです」(政治部記者)
ちなみに、参院選で生活の党は、“小沢王国”と呼ばれた岩手選挙区に関根敏伸氏を擁立したが、無所属の平野達男候補に惨敗。同時に、民主党時代に「ジャンヌダルク」と呼ばれた太田和美氏を千葉選挙区に出馬させたが、こちらも自民党候補にねじ伏せられた。
さらに、森裕子代表代行が新潟選挙区で惜敗するありさまで、一部では「もはや小沢王国は崩壊!」「生活は解党危機」とのそしりを受けているほどなのだ。
それだけに、小沢氏がこの状況を好機と見ているとは信じがたいが、同氏の動きは今後、確実に活発化するものと伝えられている。その理由を生活の党関係者がこう続ける。
「これは投票日前から言われていたことだが、実は小沢氏は選挙に奔走する一方で、早い段階から『参院選での善戦は無理』との見方を公言していた。つまり、中盤からは完全に選挙後の政局に目を向けていたのです。ご存じの通り、同氏は以前からオリーブの木構想(イタリアで起きた野党結集の政権奪取策)を提唱してきたが、野党の大惨敗でついにそのチャンスが巡ってくると読んで、動き出していたのです」
実際、これには裏付けとなるエピソードも存在する。参院選終盤にあたる7月17日に小沢氏は、『日本外国特派員協会』で記者会見。この際に「自民党以外の受け皿を作ってほしいという国民の意識を踏まえ、政治行動を行っていくべき!」と、暗に選挙後の結集を呼びかけていたのだ。
また、続く18日に小沢氏は選挙応援のために地元入り。岩手県内10カ所で街頭演説を展開したが、これには別の思惑が働いていたとの話もある。
「小沢がここまで熾烈な県内縦断を敢行したのは、自由党時代以来。そのため『形勢逆転に躍起』と報じられたが、党内からは次期衆院選に向けた地盤固めとの声が出ていたのです。野党連合結成の折には、死に体の小沢を生き返らせる地元支援が強力な武器となる。参院選を次の選挙の踏み台と見た小沢は、候補の当落以上に地元支援者、シンパを温存しようと目論んでいたと伝えられているのです」(全国紙政治部デスク)