乗員乗客520名が死亡した大惨事について、公式には、機体後部の圧力隔壁がボーイング社の修理ミスで破損し、その圧力で尾翼の一部が吹き飛んで、機体のコントロールが失われた「事故」として処理されている。
しかし、圧力隔壁が破損すれば、急減圧で機内に濃い霧が発生するはずなのに、それが見られなかったことなど、この墜落には、当時からさまざまな疑問が呈されてきた。
それらのなかで最大の疑問が、墜落現場の発見が大幅に遅れたことだ。
墜落時間は、8月12日の18時56分だが、地元の消防団員が生存者の落合由美さんを発見したのは、翌日午前10時54分だった。すぐに救出に向かっていれば、多くの人命が救えたにもかかわらず、現場の特定が遅れたのだ。
だが、内陸部に墜落したのだから、レーダーで捉えられていたはずだし、近隣住民の目撃証言や通報もあった。ところが、なぜか墜落現場の情報が錯綜し、特定されなかった。もっと不思議なことは、米軍が墜落直後に横田基地から輸送機を現場に飛ばし、上空から炎上する機体を確認し、その後、救援ヘリも飛ばしていながら、何もせずに引き返しているのだ。
つまり米軍は、最初から墜落現場を特定していたが、なぜか日本政府には伝わらなかったことになっている。
実は、7月に青山透子氏が『日本航空123便墜落の新事実』(河出書房新社)という本を出版した。青山氏は当時、日本航空で働いていた客室乗務員で、真相を探ろうと、あらゆる文献を収集整理し、目撃者証言を集め、いわば人生をかけて調査に取り組んできた。そして、書籍のなかで重大な事実を指摘したのだ。
まず、墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたという複数の目撃証言だ。つまり、日本政府は最初から墜落現場を知っていたことになる。
それでは、翌朝まで自衛隊は何をしていたのか。証言によると、現場にはガソリンとタールを混ぜたような強い異臭がしていたという。
また、現場の遺体は、あり得ないほど炭化していた。つまり、墜落から翌朝までの間に、何者かが証拠隠滅のために、強力な燃料で現場を焼き尽くしたのではないかというのだ。
消すべき証拠とは何か。青山氏の著書によると、123便から窓の外を撮った写真を解析すると、オレンジ色の物体が飛行機に向かって飛んできているという。それは地上からも目撃されている。
著者の推測はこうだ。オレンジ色で塗られた物体は、訓練用ミサイルなどの飛行体で、それが尾翼を破壊したため123便は制御不能に陥った。
事件当時、国会では、防衛費をGNP比1%以内に抑える問題が議論の中心になっていた。そうしたなかで、自衛隊の不祥事は許されない環境だった。
しかし、事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。それは、加計学園より重要な問題だ。