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高橋四丁目の居酒屋万歩計(1)「赤垣屋」(あかがきや、立ち飲み)

 JR東京駅丸の内南口から徒歩160歩

 明治期における西洋建築の最高峰と称せられる東京駅駅舎を設計したのは辰野金吾。草創期のフランス文学研究者辰野隆の父親にあたる。これ以上のことは知らないが、このことはフランス文学を目指していたころ聞きかじった。
 東京駅はルネサンス様式の左右対称の建物で、もともと3階建てだったのが空襲で2階建てになってしまった。それはそれで、もはやわれわれの目に親しんでいる姿ではある。
 しかしながらむかしの姿が見たい、本来の形に復元すべし、という声が高まったらしい。
 周辺地面を取り仕切る旧三菱財閥系の巨大なツインビルには、駅を見下ろすための特設バルコニーが併設されている。外気も吸えるバルコニーに出てみて、この眺めは駅舎の3階建てを前提とした高さに設計したなと感じた。
 昔を遡(さかのぼ)る大昔、旧国鉄に勤務していた父親と、国鉄丸の内本社社屋を仰ぎ見たことがある。晩年、父はエライ人の訪問に極度に怯(おび)えた。夕方4時を越えたころが、ゴーストの現れ時だった。中国大陸から仏印(仏領インドシナ)にかけて転戦した人だから、日本陸軍の上下関係も頭を過(よ)ぎったが、聞けばやがて父を悩ませているのが国鉄のエライ人なのだと見当がついた。怯えは、壮年期を見知っている親であることで、いっそう痛々しさが募った。

 おそらく20段階ほどあった階級組織のなかでもがいただろう父には、お疲れさまでしたというしかないが、つくづく本社は悪の権化である。せめてもの供養にわたしは、勤務していた会社の東京本社から阪・名・札・福の支社に電話するとき、「本社**です」という得意げな同僚を尻目に、「東京高橋です」と送話口から発語した。供養になっていればよいのだが。
 父に連れられた子供のわたしが、唯一驚かなかったのが東京駅だった。なぜならそれは田舎の銀行そっくりだったから。父とわたしの故郷である岩手県盛岡市の中津川沿いの岩手銀行中津川支店(旧本店)。東京駅三階復興計画の見学団が、大挙して盛岡におみえにな
ったと聞いたのが数年前のこと。計画に着工したから、やがて成果が見られるはずだ。
 大阪ミナミに育って80年、「立呑酒処赤垣屋」名物の串かつ、どて焼き、紅しょうが串かつ、はも板と大阪ワサビ漬け、水菜さっと煮などをつまみながら、ゆるりと待つことにいたしましょう。ピッカピカの新しいビルの地下にできた大阪の有名チェーンの東京進出第1号店。寛(くつろ)がない丸の内人種が相手だから苦労は多いだろうが、健闘を祈っている。

予算2600円
東京都千代田区丸の内2-8-3 TOKIA東京ビルB1

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