実はこの作品、放映が短期間で終わり、長らく映像ソフト化もなかったが、『北京原人 Who are you?』や『シベリア超特急』と並び称される、“迷作”として映画ファンの間では有名だった。実は筆者も過去に観たことはなく、今回初めて観たが、北京原人やシベ超とは違い、色々と、半ば強制的に考えさせられる作品だった。
断っておくが、この映画を観る場合は覚悟しておいた方がいい。ストーリーの流れは本来至って簡単。風俗嬢の尾坂道子が、愛犬・シロを殺した、作曲家の日夏圭介に、愛犬を刺した包丁で、復讐をするというもの。しかし、この作品では、米国諜報員、戦国時代、宇宙パルサー、マラソン、仏教的な哲学などなど、様々な要素が唐突に放り込まれるため、どう観ればいいか混乱してしまう。どれも意味があるのだろうが、それほど本編では細かい説明はしてくれない。しかもこの作品は、3時間近い長尺となっている。
正直本編は、苦行をするような心構えで観なければいけないので、これを、難解な映画というか、ただの雑なだけのクソ映画ととらえるか迷うところだ。ただ、ストーリーの流れとしては、奇妙な要素が所々放り込まれるが、しっかりと目標に向かって進んでいる印象は受けるので、おそらくは前者のはずだ…、たぶん!
苦行とは言ったが、所々に、視聴者を楽しませてくれる演出はいくつか存在する。復讐するつもりが、なぜか日夏とのマラソン対決になってしまうシーンが中盤とクライマックスに用意されており、延々走っているだけなのに、主人公のモノローグが効果的で、なぜか、不思議と見入ってしまう。それがまた、退屈で観るのをやめようかと思い始めた頃に、効果的に挿入されている。この辺りはベテランの脚本家ならではの、鋭い感性なのだろう。
とりあえず、注意して観ていれば、なんとなくのテーマはわかる。ストーリーが一番伝えたいのは、運命に翻弄された、虐げられた女の復讐劇だ。それも時空を超えた。道子の風俗店での源氏名は「お市」となっており、後半、道子は、琵琶湖で笛を吹いていた宇宙飛行士で学者の長尾吉兼に、浅井長政の妻で、織田信長の妹であるお市と、その従者だったみつの、悲劇的なエピソードを聞かされる。ここで道子は「私はお市だ」と思うようになる。実は、このお市とみつのエピソードだけ、時代劇として独立しており、かなり尺が長い。細かく解説していると、別に1本分の映画を説明するような状況になってしまうので、色々と省くが、ここで道子は、お市が強い信頼を置いていたみつを処刑した信長に、強い憤りを感じた。この憤りと、運命に翻弄されたお市と、信長に処刑されたみつの無念を、日夏にぶつけることになる。
本編中には描写されていないので、真意はわからないが、道子を、みつの悲惨な最期を知った、お市の生まれ変わりだとすれば、シロの死んだ時の、怒りと悲しみも関係してくるので、ある程度はしっくりくる。日夏の方は、米国諜報機関のプロファイリングで、自分の信念だけを信じ、常識にとらわれない人物という描写があるので、これは日夏が信長の生まれ変わりだと暗示しているのだろう。やはりこれは、お市が、自分の子供ではないのにも関わらず、必死に助命嘆願をしたが、かなわず串刺し刑にされた、長政の嫡男・万福丸と、自分の愛した従者・みつを無残に殺した兄・信長に対しての時空を超えた復讐劇なのだろう。そうに違いない。
この映画は、苦行であると同時に、考察する楽しさも教えてくれる。とにかく、劇中で細かい説明が少ない要素が多すぎるので、何も考えていないと「意味がわからない」の一言で切り捨てることが出来てしまう。しかし、じっくり観ていれば、色々考えることが出来る余白みたいなものが、この映画には散りばめられているのだ。そうすると、一見意味不明なシーンでも気になって仕方なくなる。
ここで上記した説明も、もしかしたら観る人によっては、全く本質をとらえていない、ダメなものと映るかもしれない。しかし、それでいいのだ。そこで異論をぶつけ合うのがこの映画の正しい観方の気がする。また、長い苦痛の後に、色々と考えて自分だけの結論を見つけて、達成感を得られるあたりで、この映画は、作品テーマのひとつにもなっているマラソンによく似ている。マラソン好きな人には案外合う作品かもしれない。可能であれば、この作品は、複数人で鑑賞して、そのあと意見を語り合うことをオススメする。一緒に観る相手を探すのは、なかなか難しいかもしれないが…。
ちなみに、この作品を、琵琶湖周辺の観光PR映画として観ると、かなりよく出来た作品だ。風景の描写がキレイで、かなり印象に残るだろう。
(斎藤雅道=毎週金曜日に掲載)