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京都の寺を燃やした!絶世の美人尼僧・舜海【背筋も凍る!女の事件簿】

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画像はイメージです

 1950年7月2日、京都の古刹、金閣寺(鹿苑寺)が見習い僧侶の青年の手によって放火、全焼となった「金閣寺放火事件」。寺を守っていくはずの僧侶が、寺を焼いたという本事件は、文豪・三島由紀夫の小説の影響などもあり、現代まで語り継がれる大事件となった。

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 そんな事件の陰に隠れる形となってしまった、寺院炎上事件が存在する。
 大正13年(1924年)9月30日午前8時ごろ、京都の名刹、 建仁寺(けんにんじ)の大統院から火が出て、1000坪余りの境内を焼く火事があった、

 幸いにも怪我人や死者はなく、貴重な文化財を保管した宝物殿は離れにあったため無事だったが、大統院は11時まで3時間燃え続け、ついに灰になった。
 放火犯として逮捕されたのは、この寺で修行をする28歳の若い僧侶だったのだが、この修行僧は女性(尼僧)で、名前を「舜海(しゅんかい)」といった。

 舜海は丸めた新聞紙に石油を染み込ませ、火を付け逃走。そのまま琵琶湖へ投身自殺しようとしたが、思いとどまって「犯人は私です」と警察に自首してきたという。
 舜海はなぜ、修行僧の身でありながら寺を燃やしたのだろうか。

 舜海は東京で骨董商を営む裕福な家庭に生まれ、若い頃からその美貌は評判で、縁談の申し込みが絶えなかったという。
 その後、ある男性と結婚するが離婚。原因は旦那の性的不能で、彼女は自立した生活を求めるために仏門に入った。本来、仏教の修行とは、あらゆる欲に打ち勝つのためのものなのだが、持って生まれた美貌のため、舜海は一人の修行僧と乱れた性生活を送ることになる。

 舜海本人も欲望に負けてしまう自分の体を憎しみ出し、いつしか彼女はノイローゼに近い状態となり、また人間関係のトラブルなどもあり、寺を燃やしたという。
 放火の罪で懲役10年となった舜海は、その後は自身の行いを悔い改め出所。それから38歳で亡くなったという。

 現在、大統院は再建されており、かつてこの建物を焼いた尼僧がいたことはあまり知られていない。

【参考文献】
悪女たちの昭和史(ライブ出版)

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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