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節分の「鬼」の正体は「疫病神」だった

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 2月のイベントと言えば節分。立春の前日に当たる節分は今年は2月3日で、「鬼は外、福は内」と言いながら豆まきをしたり、恵方巻きを食べたりした人も多いだろう。
 そんな節分の行事は古代中国で生まれ、日本に入ってきて宮中行事として行われていたものが民間に浸透していったものだ。

 古代中国、宮廷では新年の前日である大晦日に邪気や悪鬼を打ち払い、新たに年を迎える行事として「追儺」(ついな)の儀式が行われていた。日本でもかなり古くから宮中行事として行われていたようで、『続日本紀』には「天下諸国疫疾、百姓多死、始作二土牛一大儺」の記述がある。これは慶雲3年(706年)頃に日本全国に疫病が流行し、人々が大勢亡くなった国難が起きた事を記しており、この疫病の鬼を払うために追儺が行われたそうだ。

 洋の東西を問わず、古くから人々は病気を目に見えない何かによってもたらされるものだと考えていた。病気の悪魔や悪神などが人々に悪さをさせているというもので、日本の場合は古代中国の病気を司る鬼神「疫鬼」の伝説が伝わった事も影響しているとされている。つまり、節分で追い払われる鬼はたいていが病気の神だったわけだ。

 疫鬼や悪鬼を払う存在として追儺の儀式に登場するのが方相氏だ。方相氏は4つの目を持つ四角い仮面を被り、右手に杖、左手に大きな楯を持ち、熊の革をかぶるという恐ろしい格好で登場する。そして、侲子と呼ばれる子供の従者を引き連れて儀式を行い、最後には門の外に疫鬼や悪鬼を追い出すとされていた。

 しかし、日本では9世紀頃からは日本独自の「鬼」に対する認識から、儀式の中で目に見えない鬼を恐ろしい格好で追い立てる方相氏自体を「鬼」と認識するように移り変わっていく。こうして、豆を撒いて鬼を追い立てる現在の「節分」の行事になったわけだ。

 現在、世界中で新型コロナウィルス肺炎が猛威を振るっており、日本でも感染者が確認される事態となっている。病気の神を追い出そうとした追儺の儀式にあやかって、改めて病気への対策やうがい・手洗いなど、身の回りに気をつけてみるのはいかがだろうか。
(山口敏太郎)

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