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大仁田厚が追悼!“セメント最強”ケンドー・ナガサキさん急逝、日米マットで活躍

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大仁田厚

 プロレスラーのケンドー・ナガサキ(本名・桜田一男)さんが12日に急逝したことを、プロレスラーのレジェンドたちが交流するアメリカの親睦団体『カリフラワー・アレイ・クラブ』(ブライアン・プレアー会長)が13日未明、明らかにした。ナガサキさんの死亡説は、日本でも12日の夕方になってSNSで話題となり、Facebookでは5日に一緒にイベントに出演した元プロレスラーの木村健悟氏が藤波辰爾に報告をするなど、関係者からも訃報が発信された。享年71歳。

 ナガサキさんは1971年、大相撲から日本プロレスに入団。日プロ崩壊後は故・ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスに合流するも、天龍源一郎氏とともにアメリカへ遠征。フロリダ地区をテリトリーに大暴れし、一時帰国した際には、ドリーム・マシーンのリングネームで外国人サイドの選手として試合を行っている。その後も、アメリカを主戦場にペイントレスラー、ケンドー・ナガサキとして世界のトップレスラーと抗争を展開。日本に帰国すると、新日本プロレスに参戦。メイクをしないランボー・サクラダと改名するも、すぐにケンドー・ナガサキに戻り、故・ミスター・ポーゴ氏とのペイントコンビで、IWGPタッグリーグにも参戦している。

 プエルトリコでは、新日本から海外武者修行をしていた武藤敬司の面倒を見ていた。1980年代後半には、アメリカWCWでドラゴン・マスターのリングネームで、グレート・ムタとタッグを結成している。“ケンカ屋”のイメージが強いナガサキさんは、その後、大仁田厚率いるFMWに1シリーズのみ参戦すると、メガネスーパーが巨額を投資した新興団体SWSの旗揚げに参加。SWSが崩壊すると、派生団体NOWを経て大日本プロレスをグレート小鹿らと設立。当時のプロレス界では、“セメントマッチをやらせたらナガサキさんが最強”という幻想があり、現在の総合格闘技にもチャレンジしたが、結果は振るわなかった。新日本との対抗戦にも出陣したナガサキさんだったが、大日本を退団。

 以降、フリーランスのレスラーとして、国内のインディーマットにスポット参戦していたが、飲食店を経営したり、体調を崩すなど、引退試合は行っていないが、現役生活はフェードアウト。一昨年は自伝も発表し、5日のイベントには、ザ・グレート・カブキ氏、キラー・カーン氏らとともに、全米でヒールレスラーとして活躍したOBたちと元気な姿を見せていただけに、今回の訃報を「信じられない」と思うファンや関係者が多いのは無理がないだろう。

 全日本時代の後輩にあたる大仁田厚は「俺の全日本プロレス時代に練習でしごかれた先輩であり!レスラーは素人になめられたらあかんのや!が口癖だった。パイプ椅子で殴られたら死ぬほと痛かった。だからどんな時にも耐えられた気がします。心からご冥福をお祈りします」とナガサキさんを追悼するメッセージを発表している。

 合掌

(どら増田)

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