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俺達のプロレスTHEレジェンド 第37R 『気合だ〜!』は人生をかけた魂の叫び〈アニマル浜口〉

 「気合だ〜!」の雄叫びとともにアニマル浜口がテレビへ登場し始めた当初、これに面食らったのは一般の人々よりもむしろプロレスファンではなかったか。人情深く義理堅い日本マット界きっての常識人であったはずの浜口が、いくら娘の応援のためとはいえ、なぜそれほどに道化を演じるのか、と。

 もともと熱いキャラクターではあったが、このフレーズにはなじみがないという昭和プロレスファンもきっと多いだろう。
 これは平成に入った1990年ごろ、当時、精彩を欠くファイトを続けていた長州の姿を見た浜口が、「かつての姿を取り戻させるため」と限定的に現役復帰し、ビッグバン・ベイダーなどとのタッグで長州と直接対戦した際に「燃えろ〜!」「気合だ〜!」と喝を入れたことに由来するものである。

 浜口と長州の関係は“はぐれ国際軍”と猪木との抗争が3対1ハンディキャップマッチでひと段落ついた直後の'83年、浜口が親分・ラッシャー木村の下を離れ、それまでの敵だった維新軍へ移籍する形で始まった。
 「国際軍として新日参戦する以前、プロレス夢のオールスター戦で浜口と長州がタッグを組んだ際に意気投合したことが維新軍加入の契機とされています。加えて新日側の意向として“切り込み隊長”浜口のはつらつとしたファイトスタイルが、長州のハイスパートレスリングに合うという読みもあったようです」(プロレス記者)

 この見立てはズバリ的中。以後、維新軍からジャパンプロレスにかけて、浜口は長州の相棒として大いに活躍することになった。
 新日参戦時にはそれまでの国際でのパートナーだったマイティ井上と袂を分かち、そして国際軍も離脱。一見、情が薄いようにも映るが、これは主催者に望まれる場所で全力を尽くすという浜口の職人気質の表れだ。

 '87年、長州が新日復帰を決めたとき、まだ40歳になったばかりの浜口が引退の道を選んだのも“情”の問題ではなく、新日からジャパンに移籍する際の“トラブルを起こした場合は引退”という誓約を守ったものであった。
 「“プロの脇役”というのが浜口の評価としてはピッタリでしょう。どんどん前に出て見栄えのするファイトを繰り広げながらも、決して主役を食うようなことはない。記憶に残るその姿も、コーナー下で長州が相手を抱え上げるところへ放つネックブリーカーやハイジャック・パイルドライバーのような連携技が多いのでは」(同・記者)

 国際時代から常にタッグパートナー(浜口が主体ではない)の役割を担ってきただけに、そのベストバウトを選ぶのは難しいが、一つ挙げるならば全日vsジャパン6対6対抗戦におけるジャンボ鶴田戦('86年、日本武道館)がこれに該当するだろうか。
 ○サムソン冬木×栗栖正伸、△石川敬士△小林邦昭、×マイティ井上○キラー・カーンの1勝1敗1分で迎えた4戦目。ここで浜口が負けて、次のタイガーマスク(三沢光晴)vs長州で長州が勝ち、2勝2敗1分で天龍源一郎vs谷津嘉章というのが大方の読み筋。
 実際もその通りに進んだのだから、いわば浜口の“順当負け”ではあったが、それでもその奮闘ぶりには、試合後に解説の馬場も高評価を与えたものだった。

 体格でふた回りは違うであろう鶴田に対し、浜口は全身を使ってぶつかり続け、鶴田がバックドロップを放った後のフォールの体勢を途中で解くなど余裕を見せればすかさず反撃。「あわや」と思わせるまでには至らなかったものの、それでも鶴田の必殺技をすべて出させるなど大いに試合を盛り上げた。
 試合後、天井を仰ぎ「負けた〜!」と一声叫んだ浜口。格闘技歴もない、体格にも恵まれない、ボディービルが趣味の工員にすぎなかった浜口がプロレス界で頭角を現すことができたのは、一にも二にも本人の努力があってのこと。
 ファンもそれを肌で感じていたからこそ、単なる負け役のジョバーと見下すようなことはなく、そのファイトに惜しみない拍手を送った。

 「気合だ〜!」の叫びは決して戯言などではない。気合一つでプロレス界の荒波を乗り越えてきた、まさに浜口の人生を象徴する言葉なのである。

〈アニマル浜口〉
 1947年、島根県出身。本名は濱口平吾。国際プロのスカウトを受け入団、'69年デビュー。国際崩壊後は新日プロに参戦。国際軍、維新軍で参謀役となる。'87年に引退後は後進を育成。五輪銅メダルの浜口京子のコーチ役も務める。

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