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菅原文太死去! 「仁義なき戦い」「山口組三代目」反骨心の人生

 任侠映画の大スター・菅原文太が11月28日に死去していたことがわかった。死因は転移性肝がんによる肝不全だった。享年81。
 菅原さんは近年、夫人と山梨県に移住し農業を営みながら社会活動に取り組んでいたが、最近福岡県福岡市内に移り住んでおり、11月30日に太宰府天満宮で葬儀が執り行われていた。

 菅原さんは'58年にスカウトされて映画俳優デビュー。その名を一躍広めることになったのが、'73年に公開された深作欣二監督映画の『仁義なき戦い』。
 ドスの利いた表情と語り口、また人情味溢れる男らしいヤクザを演じて人気を博し、その後も『トラック野郎』で硬軟の役柄を演じて、日本映画史に残る数々の名作に主演した。
 だが、'12年11月に56年に及ぶ役者に、自ら幕を下ろしていた。故郷の宮城県が東日本大震災で被災し「映画を撮っている場合じゃない」と自戒したからだ。ほか、'07年頃から膀胱がんを患っていたことも影響していたといわれている。

 11月10日には、高倉健(享年83)が亡くなった。まるで連れだって旅立ったかのような2人だが、その生き方は好対照だったといえる。
 「日本映画界を代表する2人ですが、実は東映映画『山口組三代目』で初共演して以降は絡むことはなく、まったく違った路線を歩んだ俳優でした。デビュー直後から東映のエリートとして順調にキャリアを積み重ねた健さんに対し、文太さんは苦労人。最初に所属した新東宝が倒産し、松竹、東映へ移籍するなど苦難の連続だった」(映画関係者)

 菅原さんは前述した『仁義なき戦い』シリーズが大ヒット、高倉さんも『網走番外地』シリーズなどの任侠映画でブームを巻き起こしたが、その後は高倉さんが“愚直で不器用な男”を確立していったのに対し、菅原さんはコミカルな路線へも進出した。
 「役者人生を貫いた健さんに対し、反原発の姿勢から役者の道を捨てた文太さんと、その人生は反骨心に満ちていた」(ベテラン記者)

 最後の地に九州を選んだのも、再稼働をめぐる川内原発への抗議だったのか。

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