プロレス界で武藤敬司(全日本プロレス)、田上明(プロレスリング・ノア)のように社長業を兼任しているレスラーがいる。その中の一人、DDTプロレスリングの“大社長”高木三四郎は今、人生最大の勝負に挑んでいる。今月23日に初進出する両国国技館大会の成功に向けて、最後の詰めに東奔西走。社長レスラーとして常にチャレンジを続ける男の本音に迫った。
−−インディー団体としては快挙となる両国へ初進出します。
「不況不況といわれる中で、元気を与えられると思ったんですよね。無謀な挑戦と思われるかもしれないけど、限界点を作るのじゃなくて、常にチャレンジしていきたいっていうのがあったんで。これをやることによって起爆剤になればいいと」
−−どんな興行にしたいか。
「インディー、メジャーとかっていうのではなく、100人でも1000人でも1万人でも、来たお客さんに満足してもらうっていうのは変わらないんですよ。今回は特に試合の中身で勝負したいですね。それとDDTの未来を見せたいですね。うまく若手にバトンタッチできれば」
−−飯伏幸太をはじめ、若手選手が他団体に参戦しているが。
「どんどん他のマットに上がって学び、揉まれればいいと思いますよ。プロなんで、試合してなんぼだと思ってるので」
−−今、プロレス界は変革の時に来ています。
「チャンスですよね。序列とかをぶっ壊すつもりでやってるんですよ。団体それぞれに歴史があるけど、それがどうなのよって。その中で、両国大会が終わった後に、プロレス界の中核に入れたらと思います」
−−改めて選手と社長業の兼業については。
「ぶっちゃけ、しんどいはしんどいですけど。試合自体も変わってきていて、ハードコア的な路上プロレスとかもやってますし。でも、健康には気をつかってますし、やり続けるしかないですね」
−−そこまでして続ける意味は。
「僕は今39歳なんですけど、お客さんもそれぐらいの人って多いですよね。独身で寂しい人もいる。20代まで許されていたことが30代、40代になるといろいろとしがらみが出てきたり。会社では上司からは責められ、部下からは突き上げを食うみたいじゃないけど、ストレスが溜まっていると思うんです。39歳という年齢でも頑張ってるぞっていうメッセージを送りたいですよね。アラフォー世代に訴えていくプロレスがあると思う」
−−最近は三沢光晴さんの事故がありました。
「事故が起きてしまったという部分については避けられないこと。リングに上がっている以上は0%ではないですよね。でも、可能性を低くすることはできるので、残った自分たちでやらなきゃいけない」
−−具体的な対策などは。
「救命装置の導入や医療講習の実地体験とかですよね。現状ではリングドクターの常駐は厳しいと思う。でも、地方のネットワークを作って、地方巡業の時、夜の時間だけドクターに来てもらうとかね。選手もどこかで技のセーブをして行かなきゃいけないですね」
−−今後はどういう形でプロレス界を盛り上げたいか。
「元気がない、元気がないって言うけど、うち以外に両国でやる団体もありますからね。プロレスの楽しさを世間に広めるためにやるのみですよ」
−−スポーツバー「ドロップキック」(新宿)や「フレンチカレー☆☆☆ミツボシ」(中野)などの飲食店も経営をされていますが。
「飲食店を始めたのは、プロレスの楽しみの中には、試合が終わった後『今日は楽しかったね、面白かったね』って言いながらご飯を食べたり、飲んだりっていうのがあると思ったからですね」
−−これからのプロレス界に必要なことは。
「10年前はカードを発表すればチケットが売れた。今は売れない。営業力・企画力で全面的に勝負したい。東京タワーの下でビアガーデンプロレスをやりたいよね。東京タワーの上からダイブとか(笑)」
−−何か他にやりたいことはありますか。
「居酒屋をやりたいですね。30人〜40人ぐらいのところで。プロレス色を出すかは別としてね。あとは、トレーニング後、選手のケアができる治療院をやりたいですよね。とにかく、プロレスに何らかの関連性のあることがあればね」
−−プロレスラーになっていなかったら。
「やっぱり実業家になっていたんじゃないですかね」
<プロフィール>
たかぎ さんしろう=本名・高木規(ただし)。1973年1月13日生まれ、大阪府豊中市出身。175センチ、100キロ。94年IWA格闘志塾に入門、95年デビュー。PWC、フリーを経て97年にDDTプロレスを旗揚げ。06年に正式にDDTの社長に就任した。現在はユニオン、マッスルなどDDTグループの「大社長」を務める。なお、リング名の三四郎は漫画『1・2の三四郎』の主人公・東三四郎からとったもの。