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焼失を免れた信仰の地 首里城内の「首里森御嶽」

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 10月31日午前2時頃、沖縄県那覇市の首里城にて火災が発生。正殿を含む広範囲が焼失する事態となった。琉球王朝時代を偲ばせる首里城は今から約500年前に建てられ、昭和8年に国宝に認定されるも第二次世界大戦中に戦火により焼失。平成4年以降に正殿などが復元され、平成12年には県内の城跡とともに世界遺産に登録されていた。

 首里城は沖縄県でも一番のパワースポットと呼ばれており、敷地内に聖なる泉や“琉球神道”における聖地の『御嶽』も存在しており、昔から神聖かつ重要な土地とされていた。今回の大規模な火災で、首里城内にある御嶽も焼失してしまったのではないかと、現存を危ぶむ声も上がっていた。しかし、鎮火後の空撮写真から城内で最も格式の高い『首里森御嶽』が残っていた事が判明。安堵の声も上がっている。

 『首里森御嶽』の『首里森』は『すいむい』と呼び、首里城の別名のことである。首里城の広幅門から下之御庭に出たところ、正門である奉神門の前に存在している。屋根付きの門を構えた囲いの中にガジュマルとクロツグ、ビロウの木による小さな森があるもので、1997年に復元されたもの。

 この御嶽は琉球開闢(かいびゃく)神話に関係の深い御嶽で、琉球を創ったとされるアマミキヨが築いた七つの御嶽の一つとされている。琉球開闢神話では、はるか彼方の神の国であるニライカナイからアマミキヨがこの地に降り立ち、島々を創って一組の男女を住まわせ、やがてそこから人が増えていったとされている。そして、アマミキヨは琉球各地に「七大御嶽」と呼ばれる祈りの場所を築いていった。その一つが『首里森御嶽』なのだ。なお、首里城の中に御嶽ができたのではなく、先に首里森御嶽があって後から首里城が建てられたのだそうだ。

 かつては王が城外の寺社へ出向く時には、この御嶽で祈りを捧げ、また神女たちが多くの儀礼を行っていたという。琉球の信仰では、神に仕えるのは女性とされていたため、琉球王朝時代は御嶽は男子禁制であった。しかし、『首里森御嶽』は男女ともに拝することができたという。首里城は政治の舞台だけではなく、琉球国内の宗教的拠点でもあった。過去には、首里城内には他にも十の御嶽が存在していたそうで、復元された苅銘御嶽(かわるめうたき)は今回の火災では焼失してしまったのではないかとみられている。

 首里城内の御嶽は現在でも信仰対象であり、今でも御願を捧げる人の姿があった。『首里森御嶽』が焼失を免れたのは幸運であるし、火災からの復元の際には、是非とも信仰の舞台であった御嶽の数々も復元して欲しいものである。

(山口敏太郎)

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