しかし、司会がタモリからヒロミにバトンタッチされたほぼ同時期から、ゆるやかにシフトチェンジ。“キャブラー”と称されたお笑い芸人たちの人気が上昇し、若手芸人の登竜門のような番組になった。キャブラーたちはボキャブラブームを巻き起こし、“ボキャブラ世代”、“ボキャ天世代”などと呼ばれた。番組内の芸風は、コントと言葉のダジャレを組み合わせたもので、本人たちの持ち芸ではないのも特徴だ。
なにより、現在のテレビに欠かせない多くの芸人を輩出している。出世頭のひと組は、爆笑問題。付けられたキャッチコピーは、“不発の核弾頭”だ。現在、爆問のネタを書いているのは太田光だが、同番組では大半を太田が書き、オチとなる「ボキャブった」部分は田中裕二が担っていた。…と表面的にはコメントしていたが、ふたりがレギュラーを務めていた『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日系)では、すべてを田中がひとりで書いていたことをカミングアウト。ダジャレという概念を忌み嫌う太田は、このころからイズムが顕在だった?
“邪悪なお兄さん”と付けられたのは、海砂利水魚。現在のくりぃむしちゅーだ。まだ20代で、とがっていた上田晋也、有田哲平だが、同番組で特に好評を博したのは、ネタと関係のない有田の暴露トークだった。女関連をバラされたのは、アンタッチャブル・山崎弘也。営業で熊本を訪れた際、上田の妹をナンパしたというものだった。ネプチューン・原田泰造は、某グループの女性ボーカルからファンレターをもらい、書かれていた電話番号に連絡をしたことを暴露された。この話にはオチがあり、書かれた番号は有田のもの。原田がトラップに引っかかるかを試した、有田の悪戯だったのだ。
そのネプチューンには、“電光石火の三重殺”というフレーズが付けられ、先の原田がイケメンだったことから、キャブラーイチの女性ファンの多さだった。原田がホストに扮するコント「ホスト・アキラ」は、番組内のネプチューンの代表作となり、原田が「ご指名ありがとうございます、原田です」と言うのが定番フレーズだった。当時のボキャブラブームと原田人気に便乗して、くりぃむ・有田は合コンの自己紹介で、「ご指名ありがとうございます、有田です」とつかみ、モテようとしたという。
土田晃之は、コンビ芸人・U-turnとして出演。現在よりも太っていて、愛想も悪く、芸人サバイバルに残り、はい上がることばかりを考えていた目つきをしている。“回転禁止の青春”が、キャッチコピーだった。番組終了後は、人気も収入も低下していき、すでに既婚者で子どももいた土田は、行き詰まった。そんなころ、厳しすぎる土田の性格に嫌気がさしていた相方・対馬盛浩は、ひっそりと就職活動。次の職場が決まると、あっさり芸能界から足を洗った。
この対馬のように、一般人に戻ってしまった者、元フォークダンスDE成子坂・村田渚のように亡くなってしまった者、元極楽とんぼ・山本圭一のように不祥事を起こして芸能活動を禁止された者など、同番組にはさまざまな元芸人がいたため、映像化・再放送がむずかしい。現に、06年まではフジ系のBS放送で再放送されていたが、NG芸人の出演回は、放映が見送られている。また、逮捕歴がある田代まさし、元横浜銀蝿の翔が出演した回も、まるごと放映されていない(いずれもパネラー)。さたに、死亡した元F1レーサー、アイルトン・セナやダイアナ皇太子妃を扱ったネタも、そこだけカットされる不自然さが生じている。
多くの芸人がチャンスをつかみ、女性ファンからの黄色い声援を浴び、驚くような高額ギャラを手にしたボキャブラブーム。大成した者の裏では、一発屋芸人と化した者、芸能界を引退した者がいる。いっぽう、土田や有吉弘行のようにコンビ解散後、ピン芸人としても花を咲かせた者もいる。「映像化不可」が逆に、キャブラーたちに、番組に箔を付けているかもしれない。
(伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)