search
とじる
トップ > スポーツ > 王と長嶋〜プロ野球を国民スポーツにした2人の功労者〜(8) 五輪代表監督にこだわった長嶋

王と長嶋〜プロ野球を国民スポーツにした2人の功労者〜(8) 五輪代表監督にこだわった長嶋

 「オリックスの大石はたいしたもんだよ。コリンズ監督が唐突に、ああいう形で辞めたチームを率いて、あれだけの成績をあげているんだからね。西武の渡辺もよくやっているよね」
 昨シーズンの終盤、王監督が「なんとしても3位になってクライマックスシリーズに出場しよう」とナインのシリを叩けば叩くほどチームは空転。最下位へ向かって真っ逆さまという最悪の状況の中で、現役時代に新人類と呼ばれた43歳の西武・渡辺監督、49歳のオリックス・大石監督のチーム掌握ぶりを見て、「いつまでもON時代ではない」と唱えていた王監督は、ついに世代交代の波を痛感して引退を決断したのだろう。

 「ちょうど区切りの野球人生50年だからね。よくここまでやってこれたよね」
 最下位で終わった波瀾万丈の野球人生50年を振り返る王さんだが、「野球というスポーツは人生そのものだ」と色紙に好んで書く長嶋さんも、王さん同様に日本代表監督として、脳梗塞で倒れるという大きなアクシデントに見舞われている。
 懸命なリハビリで目覚ましい回復ぶりを見せている長嶋さんは、最近になって親しい球界関係者に「倒れたときはもうダメだ、死んだと思った」と告白しているという。が、ONコンビは不滅のスーパースター。長嶋さんの原動力は、「もう一度、日本代表のユニホームを着て現場復帰したい」というすさまじい執念だ。
 「アテネ五輪はアジア予選でトップ通過しながら、本戦を前にして倒れてしまった。なんとしても北京五輪で雪辱したい」と、不退転の決意でリハビリに取り組んできた。

 昨年8月の北京五輪、星野ジャパンは銅メダルすら取れずに惨敗。WBC日本代表監督として続投する既定路線だった星野監督も、世論の猛反発、イチローの「WBCは五輪のリベンジの場ではない」という爆弾発言の前に吹き飛んだ。そんな北京五輪日本代表・星野監督だが、長嶋さんは最後の最後まで北京五輪日本代表監督をあきらめていなかった。
 当時の日本代表編成委員会・長船委員長と極秘会談。「体の方は大丈夫だから」と北京五輪日本代表監督に強い意欲を示し、一時は長船委員長もOKを出した。が、「万が一の事があったら誰が責任を取るのか。長男の一茂君とお医者さんから話してもらい、断念するように説得してもらうしかない」という、長嶋さんの体調を心配するプロ野球関係者の総意という形で、星野監督で一件落着した。
 その過程で「星野監督決定」のスポーツ紙報道があった時に、朝一番で親しい球界関係者に「あのニュースは本当か。星野で決まったのか」と長嶋さんから電話が入ったという。それどころか、星野監督が正式決定した後も「オレもワンちゃん(王監督)も日本代表監督で病気になった。もし、何かあればまだわからない」と周囲に語る長嶋さんは鬼気迫る様子だったというのだ。
 星野監督が三顧の礼を持って、長嶋さんに「北京五輪日本代表相談役」就任を要請したのは、「長嶋さんから日本代表監督の座を奪ったといわれるのを避けるために、取り込んだ」といわれている。長嶋さんの周辺からは「星野に利用されることはない」と反対があったが、頭を下げられると弱い長嶋さんは最終的に受諾した。
 それにしても、なぜ長嶋さんがそこまで日本代表監督にこだわったのか。王さんへのライバル意識が見え隠れする。

関連記事


スポーツ→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

スポーツ→

もっと見る→

注目タグ